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原爆開発におけるアメリカでの人体実験の実相

原爆開発における人体実験の実相―米政府調査報告を読む原爆開発における人体実験の実相―米政府調査報告を読む
(2003/08)
河井 智康

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原爆開発における人体実験の実相(米政府調査報告を読む)―河井智康著(新日本出版社)のポイン
<広島の視線 - 原爆・ヒロシマ・平和公園・無料ガイド・花>様より転載
http://blogs.yahoo.co.jp/mitokosei/11810939.html
第1話 病院患者へのプルトニウム注射
 ロスアラモスでのマンハッタン計画の中で、何百人という労働者がプルトニウムの製造に関わっていた。1945年3月これらの労働者の尿から基準値を超えるプルトニウムが検出された。これを契機に1945~47年に4カ所の病院で18人の入院患者にプルトニウムが注射された。カルテが破棄されていなかった16人の内、1枚のみに同意の証拠があった。
 この人体実験の大部分は戦後になってから行われた。つまり、被験者にも内密にせざるを得ない人体実験を行ってまで、アメリカは核を所有し世界に君臨する道を選んだのである。
 また、その実験が後に社会的問題になっても、大きな騒動にならないように被験者には社会的弱者や有色人種を選んだ。

第2話 精神障害児へのラジオアイソトープの投与
 1940年代後半および1950年代前半に、マサチューセッツ技術研究所(MIT)の研究者は精神障害児学校の生徒達に放射性鉄と放射性カルシウムを若干含む朝食を与える研究を行った。
 どのくらい食べ物から人間が鉄、カルシウムその他のミネラルを吸収するかを研究するためであった。
 1961年ハーバード大学医学部、マサチューセッツ総合病院、ボストン大学医学部の研究者たちは、少量のヨウ素をレンサム州立学校の70人の子ども達に、またマサチューセッツの施設では精神障害児に投与した。
 これは核降下物への対応のためのテストであった。具体的には、核爆発で出る放射性ヨウ素を取り込むのを効果的に妨げる非放射性ヨウ素の量を決定するために計画された。子ども達を被験者に選んだのは、子どもは大人よりも低いレベルの放射線で被害を受けるからである。後に21の研究中11で、最小リスクを超える被害を子ども達は受けたことがわかった。
 この実験は核の「平和利用」的意味もあったが、同時に少数ではあるが軍事的目的も含まれていた。

第3話 囚人を使った睾丸放射線照射
 1963~73年の間に、米政府の支援によってオレゴンとワシントンの131人の囚人に睾丸放射線照射が行われた。それは宇宙船飛行、武器工場、核戦場などでの睾丸機能への放射線の危険に関するテストであった。
 囚人達は健康な大人であり、すぐにどこかへいってしまう恐れはなかったので、彼らは最適の被験者であった。囚人は睾丸実験を志願すれば今の円に換算して、一回につき1万円ほどがもらえた。つまり、社会的弱者を金で服従させるという発想であった。
 この1963~73年は、部分的核実験停止条約が制定された頃である。この条約は大気圏内の核爆発を伴う実験に限ってやめるという内容であった。これ以上核開発を続けるためには、どうしても放射能の影響を核実験以外の方法で解明し、防御する必要があったのである。

第4話 兵士による核戦争被害の実験
 軍人、水兵、航海士、テスト従事の一般人など20万人以上が、訓練や監視、軍事的効果のデータ集めなどのための実験要員となっていた。彼らにはデータ集めなどの仕事が人体実験かどうかは区別が困難であった。
 1951年11月、ネバダ砂漠の核実験の折、5000人が参加して本格的核戦争に向けた訓練が行われた。この「砂漠の岩作戦」では実験グループは「空中爆発の90秒後まで残る放射線は危険ではない。爆心地より十分離れればシェルターなしで完全に安全であり、簡単な防備で爆発中心地のすぐそばにいても、被害はない。」と告げられた。その後も同様な核実験が行われた。
 1946年にマーシャル諸島のビキニ環礁で核実験が始まり、生物を伴う実験がその主要な課題となったが、これらの実験の評価を通じて「砂漠の岩作戦」が行われたと推測できる。
 これらの実験で、原子力の影響、閃光による視力への影響、防護服の研究、原子雲を飛行機が貫通する際の影響、汚染除去の方法等が調査された。
 軍が兵士を使って実験する事は当然のこととされていたのであろう。
  
第5話 ウラン鉱夫の被爆体験調査
 (この第5、6話は、最初からの計画的人体実験ではなく、実際に進行している状態の中で、危険と知りつつ対策をとらずにデータ収集を優先し、結果的に人間をモルモット扱いした事例である。広島・長崎の被爆者もアメリカのデータ収集に組み込まれたということはよく知られている。)
 1849年からコロラド州とアメリカのウラニウム鉱山と製造工場の環境研究と坑夫と従業員の疫学的研究を開始した。そのうちに鉱山におけるラドンガスによって、鉱夫達が肺ガンの危険にさらされているのに対して、政府や鉱山はその環境改善に努力せず、結果として17年間坑夫たちをモルモット扱いにしたのである。
 1960年ウラニウム採掘と肺ガンの関係が明らかになった。少なくとも通常の人の4.5倍の肺ガンが観察された。
  この鉱山の坑夫の多くがネイティブ・アメリカンだということも注目される。高齢者のネイティブ・アメリカンは英語が苦手の人が多く、被曝者と認められても、その補償を要求するための書類を自分では書けず、弁護士に頼むと10%の手数料を取られたのである。

第6話 マーシャル人の被爆調査・実験
  (詳しい内容は別資料の「マーシャル諸島の被曝」を参照)
 1961~62年の間に、島民が放射性トリチウムとクロミウム51を投与された。トリチウムもクロミウムも毒性があり、治療目的ではない。トリチウムは人体に水爆から生じる放射性物質がどのくらい取り込まれているかを調べるため、クロミウムは島民の体内の赤血球の寿命を調べるものであった。
 少なくとも10人の島民が承諾書にサインしたが、彼らはそうすることで、補償金がもらえると期待したようだ。

第7話 ネバダ核実験と風下住民
 ネバダ実験場で1951~1992年で925回(内825回は地下実験)の核実験が行われた。実験は風向きと密接に関係があった。実験はネバダ州とユタ州が風下になるときを選んで行われた。つまり、その両州はネイティブ・アメリカンとモルモン教徒の主たる居住地であり、人種差別的発想が感じられる。
 また、アメリカ政府が核実験はまったく安全あることを宣伝したために、多くの人達がピックニック気分で核実験を見学に行った。そこにはいつも数百人の見物客がいたという。

このように実験対象者は常に社会的弱者であった。 



いい記事です。転載させて頂きました。深謝いたします。

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