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【1】アメリカのヘゲモニー ―1つの史的脈絡化― 『1.は じ め に』 中谷義和 (転載)

http://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/law/lex/06-6/nakatani.pdfより以下転載
アメリカのヘゲモニー
                      ──ひとつの史的脈絡化──
中 谷 義 和 (略歴:http://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/law/lex/07-6/nakataniryakureki.pdf )

1.は じ め に
2001年1月に発足したブッシュ(Jr.)政権は,同年の「 9・11事件」を引き金とした不安感とジンゴイズムに訴えて,国連安保理の承認を得ないままに,また,大量破壊兵器の開発という今や崩れ去った正当化論をもとに「有 志 連 合」と と も に イ ラ ク 戦 争 を 開 始 し て い る。湾 岸 戦争(1990年)・NATO 軍のコソボ介入(1999年)・イラク戦争(2003年)と並べてみると,1889─91年の歴史的大変動以降の世紀転換期の国際政治と国際情勢は,いわゆる「グローバル化」のなかで,きわめて複雑で不安定な状況にあることがわかる。
今や,なかば忘れられた存在であるが,コロンビア大学において政治学大学院を創設し,C. メリアムをはじめ多くの研究者を育てたジョン・W.バージェス(1844─1931)は,1895年の「アメリカ共和国の理念」と題する講演において,アメリカは「世界のための理念の共和国」であり,「範例の点ではコスモポリタンである」と位置づけたうえで,次のように続けている。

「アメリカ共和国は,すでに,理念を原理とした理想的発展の諸段階を辿っている。求められていることといえば,未熟さや予想外の弊害を克服することぐらいである。また,その理念を実現するために残されている課題といえば,この国の歴史に認められる全般的方向を着実に追求することぐらいである。この国のシステムを根本的に変更することなど求められてはいないのであって,これに訴えることは,この理想の実現を阻止するに等しいことである。この種の革命を支持し煽る人々はアメリカ共和国の,しいては世界の政治的文明の敵対者であると見なさざるをえない」と(Burgess 1895 : 424-25)。
この講演は,19世紀末の,いわゆるアメリカの「構造的変貌」期と「海洋的膨張主義国家」化への移行期を背景として語られたものであって,「アメリカ共和国の基本的使命は,主として,チュートン的国民性を基礎にアーリア的政治文明の資質を完成することにある」とし,ここに「アメリカ共和国の 卓 越 的トランセンデント使命」を求めている。
バー ジェ ス の 講 演 か ら 100 余 年 を 経 て,ア メ リ カ 政 府 の『国 防 戦 略(National Security Strategy of the United States of America)』(2002年9月17日)の冒頭において,ブッシュ(Jr.)大統領は,「20世紀における自由と全体主義との大闘争は自由の諸勢力の,……自由・民主政・自由企業の決定的勝利で終わった」と位置づけるとともに,「テロリストが米国民や米国に危害を加えるのを防ぎ,……その機先を制するために単独行動も辞さない」と,また,「敵性国家の政権を交替させることや,米国の戦略目標が達成されるまでのあいだ他国を占領することも起こりうる」と述べ,アメリカは,自衛のためのみならず“自由の勝利”という「重大な使命」のために干渉と介入や占領政策も採りうると宣言している。この声明は,前年9月の「世界貿易センタービル」と「ペンタゴン」への同時多発テロ(「 9・11事件」)を,つまり,グローバル資本主義と世界的軍事力という2つの象徴的拠点に対する攻撃を背景としている
 さらには,「 9・11事件」5周年に発表された「テロリズムと戦うためのアメリカの国家戦略の概要(Overview of America's National Strategyfor Combating Terrorism)」はテロとの戦いは「武力戦と理念戦」であると位置づけ,「圧政と全体主義支配という不法な考え」に対抗する必要があるとの視点から,国民と同盟国の理解と協力を求めている(National Security Council, Sep. 5, 2006)。この「国家戦略」に“冷戦”の明示的宣言とされる「トルーマン・ドクトリン」(1947年)と同様の反全体主義と民主政擁護のレトリックを読み取ることは容易であろう。また,先に引用したバージェスの講演をブッシュの声明と重ねてみると,時代を異にしつつも,アメリカは訓育的使命をおびた世界史的国家であって,「例外的」存在であるとする共通の認識と修辞を読み取ることができよう。

1812年戦争において,アメリカは大統領邸(ホワイト・ハウス)の焼き討ちにあっている。「 9・11事件」は「アメリカ民主政という市民宗教による世界的権力支配に対するエスノ・ナショナリズム型宗教的原理主義のテロリスト反抗」であり(Kolko 2002 : 1),アメリカの心臓部に対する攻撃でもあっただけに,古い記憶は悪夢のようによみがえり,友敵二元論と善悪二元論の修辞をもって潜在的脅威に対する「先制攻撃(preemptivemilitary attack)」論にとどまらず,「予防攻撃(preventive use of force)」論をも呼び出すことになった(「ブッシュ・ドクトリン」)。これは,アメリカが自らの判断において,世界の「自由と民主政」を擁護する“憲兵”の役割にあることを自称するものであり,その「使命」を果たすとする意思表示にほかならない(Heisbourg 2003 ; Arend 2003 ; Koh 2003)。

こうした戦略的宣言には「チェニー - ラムズフェルド - ウォルフォヴィツ枢軸(Cheney-Rumsfeld-Wolfowitz axis)」の地政学的・新保守主義的国家企図が作動していた1),また,石油利権網の安定的確保という経済地理学的利害とも結びついているとされる2),1970年代に緒についたとされる市場の開放と資本移動の自由化を軸とした 多国間主義的(マルティラテラリスティック)「新自由主義」の世界的再編路線は,“将来敵”の単独行動主義的(ユ ニ ラ テ ラ リ ス テ ィ ッ ク)撃滅論に連なった。これは,冷戦体制終焉後の国際情勢の変化のなかで,政治経済的・軍事地政学的視点から「単独覇権」主義的に「パクス・アメリカーナ」の世界的体制の保守を志向するものであるが,こうした予防的攻撃論や外敵制圧戦略は内部治安の強化とも連動せざるをえない。それは,アメリカが2003年に「国家安全保障省」を設置し「治安国家」化を強化したことにも認めることができる3)

「グローバル化」とは「時間と空間の圧縮」であるといわれるように,「 9・11事件」は「距離」が“安全”保障する防壁とはなりえないことを歴然と示すものとなっただけでなく,アメリカは「アメリカ的価値」を世界的価値と等視し,「自由・民主政・自由企業」の一体的保守において,権威主義的体制とはいえ,少なくとも「有志連合」による軍事介入をもってイラクの体制転換を行なった。資本主義的自由主義においては,交易と通商を安定的・友好的に維持することが必要とされるだけに,「戦争の不可避性」ではなく,民主政の「不可避の平和テーゼ(inevitable peacethesis)」が成立するとされ(Kiely 2007 : 175-76),自由主義的民主政の拡大が「平和」の実現に連なると想定されることになる。それだけに,これに対する挑戦は「悪の枢軸(axis of evil)」(2002年1月のブッシュ演説)と見なされ,J. S. ミルがかつて指摘したように,「自由の守護者は,野蛮と専政の拡大を阻止するために自らの物理的強制力を行使する権利を保有している」という自己認識を呼ぶことになる(Mill 1973 : 409)。だからこそ,資本主義が「構造的暴力」を内包しているとはいえ,「アメリカ的価値」は「民主政の扶植(democracy promotion)」論と,あるいは民主政のインフラストラクチャー構築論と一体化し,その世界的伝播というメシアニズムを喚起し(Huntington 1984 ; Oren 2003),「使命国家(crusaderstate)」は「非公式帝国」の,あるいは「新帝国主義」の外交・軍事戦略に訴えることができたのである。

“ヘゲモニー”は,所与の国家の史的脈絡と国家間関係を背景として,物質的生産と再生産の知的・道徳的創出機能を果たすだけでなく4),諸矛盾の顕在化に際し,あるいは,その予測において新しい経済社会システムを構築するための知的基盤ともなりうる。「グローバル化」時代の21世紀をアメリカの世紀とする企図は,いわゆる“ネオコン”を中心とした「新しいアメリカの世紀のためのプロジェクト(Project for a New American Century)」(1997年)に明らかであり(www.newamericancentury.org.),これが「ブッシュ・ドクトリン」として浮上している。ネオコンの台頭を歴史的脈絡に据えてみると,戦後アメリカの基本的政治経済システムであった「フォード 主 義 的・ケ イ ン ズ 主 義 的 成 長 志 向 型 資 本 主 義(Fordist-Keynesian,growth-oriented capitalism)」は1970年代に「市場原理主義的グローバル型新自由主義(market-fundamentalist, global neoliberalism)」へと移行し,80年代の「ニューライト型レーガン革命」やブッシュ2代政権に継承され,これが「 9・11事件」を契機として声高に浮上することになった(Rupert2003 ; 2005 : 51-52, n. 3 ; Rupert and Solomon 2006)。この脈絡からすると,経済的新自由主義はグローバル市場主義化のヘゲモニー的言説であったことになる。というのも,生産関係の世界システムの形成には,資本主義的商品化の言説とノルムのグローバル化が,また,途上諸国の前資本主義的社会関係と文化を解体し商品経済に従属的に包摂することが求められるし,それが国境横断的ないし超国民的なエリートのコンセンサスとなるにとどまらず,被指導層をも巻き込んだグローバル・イデオロギーとして扶植され,浸透することが必要とされるからである5)(Robinson 1996 : 30)。

本稿は,現代の「グローバル化」状況において,アメリカがヘゲモニー的位置にあるだけに,存在しなかったアメリカという国家が世界第1の「覇権国家(hegemon)」ないし「唯一の超大国」へと転化する力学には,どのような修辞と論理が作動することになったかについて,その史的脈絡化を期そうとするものであり,アメリカ民主政の理念と体制の相対化には,この作業を経ざるをえない。


以上、転載終わり。2に続く

(雑談:上記、中谷教授のこの論文は2007年のもの。07以降の様々な事象、リーマンショックやオバマ政権誕生、そしてエジプトの春、中東諸国の民主化運動、イラクからの撤退(問われるべきイラク戦争の正当性と利権と責任)とビンラディン殺害、テロとの戦いの継続、東アジア重視への転換、アメリカから全世界に飛び火したOWS、1%vs99%の格差拡大社会と行き過ぎた新自由主義と競争社会におけるアメリカ自身が抱える様々な複雑な問題、(グローバル化が安易に叫ばれる日本において)グローバル経済が内包する問題と覇権国としてのネオコンの台頭、政権交代後に先鋭化した従属関係の日米、など2007年以降から現在に至るまで、そしてさらに今年、世界のリーダーたちが変わる激動の年と言ってもいいかもしれない2012年を予想するためにも、この「アメリカのヘゲモニー」なるものが、例えばTPPをひとつ例にとって照らしてみても、軍産複合体の覇権主義の後付けのような「正義」や「自由」や「資本主義」や「民主主義」という名とその本質、アメリカ多民族国家の抱える内包的問題とそれに対する覆隠的理念の単純化やヒロイズム的概念、グローバリゼーション=アメリカナイゼーションが「使命感」で正当化されうるものか。そして米政府(主として軍産複合体)によるスピンコントロールと米マスメディアの関係と、日本政府と日本のマスメディアや産業界の関係など、その理解が更に進むかもしれない。)
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