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【陸山会裁判事件】琉球新報社説「小沢判決/検察の「闇」が裁かれた 全面可視化しか道はない 東京新聞社説「小沢元代表無罪 許せぬ検察の市民誤導」

権力監視とは本来こうあるべきが当たり前の姿勢なのだ。2社の社説。色の違いはあれど、やっと判決が出たあとに書いたかという感じだ。琉球新報は沖縄の基地問題もあり、本土の政府官僚の垂れ流し横並び報道に対する不信感からこれまでも独自の取材記事を通じて権力監視の姿勢を貫いて書いていたと思う。東京新聞は「こち特」だけが「調査報道」で鋭く切り込んでいた。ただ問題は、特にそれが東京新聞の「社」の「説」であり、それならば全体として常日頃からこういう視点で権力監視の役割を果たしてもらいたい。なかでも東京新聞政治面では小沢氏に絡む陸山会事件は元々そういう書き方じゃなかった。特に政治部や「核心」のあたりは読売や産経とさほど変わらない論調で、真実を書かず、検察の流れに沿って小沢批判を報道していた。判決後、ここまで検察の犯罪が法廷でわかるまでの間に再三、市民の会などが指摘していた事実を知り得た立場だったはずが、ダンマリだった。寧ろ、「核心」と書く割に核心部分を避け情報の取捨選択に意図があり、「在京メディア」の枠内で記事を書いていた。これは動かさざる事実だ。にもかかわらず、急に弱った相手に対して叩くのがジャーナリズムなのかとやや疑問に思うところもある。一貫した権力監視の姿勢なら相手がどうであろうと「真実」を追及するのが役目だろう。そして、東京新聞にはもうひとつの懸念がある。かねてから指摘しているように、TPPについてどういう姿勢でいるかという点で疑念が生じている。原発に対する報道姿勢は他社より群を抜いて素晴らしいものがある。しかし脱原発のその先に何があるのかという点で、どういう方向に読者を誘導しようとするのかを若干懸念している。今後もTPPに誘導しないかどうかを冷静に注視しなければならない。社説の読み方としては『最後のまとめのひと言が重要だったりする』と岩上氏が言っていた。そこにも注目。


    


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小沢判決/検察の「闇」が裁かれた 全面可視化しか道はない
琉球新報社説2012年4月27日  http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-190529-storytopic-11.html
 裁かれたのは検察の深い闇だ。そう受け止めざるを得ない。政治資金規正法違反罪で強制起訴された小沢一郎民主党元代表への判決で、東京地裁は無罪を言い渡し、検察の手法を厳しく批判した。
 供述を検察が「ねつ造」したことが明らかになったからだ。大阪地検の証拠改ざんもあった。断罪されたのは検察の体質そのものと言える。もはや検察の調書は信頼できない。取り調べを全面可視化するほか信頼回復の道はない、と法務当局は認識すべきだ。
 今回、「ねつ造」された供述はそのまま検察審査会に送られ、強制起訴の根拠になった。検察審査会の在り方も議論すべきだろう。

証拠改ざんに通底
 この裁判の最も重要な瞬間は、小沢氏の弁論などではなく、むしろ田代政弘検事の証人尋問だった。昨年12月の公判で田代検事は、事実と異なる捜査報告書の作成を認めたのだ。
 2010年5月、田代氏は元小沢氏秘書の石川知裕衆院議員を再聴取した。その報告書には「あなたは国会議員。やくざの手下が親分を守るようなうそをついてはいけない」と検事に言われたのが効いた、と石川氏が述べ、小沢氏の関与を認めたかのように記した。
 だが石川氏はかばんに録音機をしのばせ、隠し録音していた。このため、そのような応答は全くなかったことが証明できた。
 田代氏は「過去の供述と記憶が混同した」と弁解したが、あまりに不自然だ。録音されていない「供述」はほかにも数多くある。裁判所が弁解を「にわかに信用できない」と退けたのも当然だ。
 取調室は密室である。隠し録音をしていなければ報告書が虚偽だとは証明できなかっただろう。ほかの調書類でも同様の「ねつ造」がないと信用できるだろうか。
 検察のストーリーに合わせて事実をねじ曲げた点は、大阪地検の証拠改ざんとも通底する。もはや検察の体質と化していた、と疑わざるを得ない。
 検察は取り調べの一部可視化を始めているが、全面可視化は拒んでいる。だが一部可視化は可視化しないのと同じだ。検察に都合のいい部分だけを公開し、ほかは隠しておける仕組みでは、可視化の意味がない。法務当局は、国民の信頼を取り戻したいなら、全面可視化を断行すべきだ。
 市民団体は田代検事を虚偽有印公文書作成・同行使罪で告発したが、検察は起訴を見送る方向という。大阪地検の証拠改ざんは最高検が捜査したが、今回は東京地検が担当だ。東京地検の犯罪を東京地検が捜査して、公正と言えるはずがない。最高検か他の地検、警察が捜査すべきではないか。

資料開示も必要
 検察審査会(検審)の仕組みもあらためて問われる。今回は検察が起訴を見送った事案だが、市民の告発を受けて検審が2回議決し、強制起訴となった。
 だが検審の仕組みもあまりに不透明だ。政治的に対立する人が恣意(しい)的に告発することは、いくらでもできる。審査が何回開かれたか、委員がどんなメンバーかも分からない。
 検審に開示する資料を検察が恣意的に選ぶことも可能だ。今回の審議も、くだんの捜査報告書を基にしていた。全面可視化と同時に全ての捜査資料を全面開示する仕組みでなければ、公正な審議はできないのではないか。これは裁判員裁判にも言えることだ。
 強制起訴が可能になったのは裁判員制度と同じ09年の司法改革からだ。それ以前、検審が起訴議決をしても、警察官や検察官が身内の犯罪をかばうかのような不自然な不起訴が続き、市民の不信感が高まったことが背景にある。
 だから強制起訴の仕組みの必要性にはうなずける点もある。だが政治家は起訴だけで議員辞職を迫られてしまう。特定の政治家を恣意的に排除できるかのような仕組みは改善の余地がある。国民的議論で改善策を導き出すべきだ。

小沢元代表無罪 許せぬ検察の市民誤導
東京新聞2012年4月27日 http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2012042702000135.html
 政治資金規正法違反に問われた民主党元代表小沢一郎被告は無罪だった。元秘書らとの共謀を示す調書などが排斥されたからだ。市民による検察審査会の判断を誤らせた検察の捜査こそ問題だ。
 「事実に反する内容の捜査報告書を作成した上で、検察審査会に送付することがあってはならない」と裁判長は述べた。
 小沢元代表の裁判は、新しい検察審制度に基づき、市民による起訴議決を経て、強制起訴されたものだった。
 つまり、市民が判断の中核としたとみられる検察側の書類そのものが虚偽だった点を、裁判所が糾弾したわけだ。
 問題の報告書は元秘書の石川知裕衆院議員が小沢氏の関与を認めた理由の部分だ。「検事から『親分を守るためにうそをつけば選挙民を裏切ることになる』と言われたのが効いた」と石川議員は述べたという。だが、実際にはそのようなやりとりがないことが、録音記録で明らかになった。
 検察が虚偽の文書を用いて、市民を誤導したと指弾されてもやむを得まい。石川議員の供述調書も、検事の違法な威迫、誘導があり、裁判で証拠採用されなかった。取り調べ過程の全面録画(可視化)の議論は加速しよう。
 そもそも、巨額なカネはゼネコンから小沢元代表側へと渡ったという見立てで、捜査は始まった。上司から「特捜部と小沢の全面戦争だ」とハッパをかけられたという元検事の証言も法廷で出た。今回の判決でも「検事は見立てに沿う供述を得ることに力を注いでいた」と厳しく批判された。予断となった特捜検察の手法をあらためて見直さざるを得まい。
 検察審の在り方も論議を呼びそうだ。検察の大きな裁量を見直し、市民に事実上の起訴権限が与えられた新制度は評価できる。その特徴は黒白を法廷決着させたい意思だろう。一方で、強制起訴の乱用を懸念する声もある。
 今回の裁判でも、弁護側は「検察が意図的に検察審に誤った判断をさせた」と主張していた。これは検察審の悪用であり、事実なら言語道断である。市民の議論をサポートする弁護士を複数制にしたり、容疑者に弁明機会を与えるなど、改善点を模索したい。
 小沢元代表は法廷で「関心は天下国家の話。収支報告書を見たことすらない」とも語った。政治資金制度の根幹部分を改正することも急務といえよう。


東京新聞、最後のまとめの言葉『政治資金制度の根幹部分を改正することも急務といえよう』にはやや疑問を感じる。小沢氏の政治資金収支報告書は総務省担当課が問題無いと言ったと聞いている。検察が意図的に政治的に強引に事件化しただけの話で犯罪性はもともとなかったものだ。それにこれまでも修正申告が通例だ。政治資金規制法の理念と目的を考えれば、政治家の自由な政治活動を規制し、箍を嵌め、萎縮させることで誰が得するのかをよく考えてみればすぐに分かる話だ。
逆に、検察が政治資金に関してその「違法性」「悪質性」を判断し「政治的に」利用するのを「規制」しろと言うなら分かるが、「政治家の自由な活動」を規制するのは筋違いに思える。政治資金の制度の根幹部分とは何を指しているのか、サッパリ説明せずいきなり最後に入れてきた「制度」問題は、実はオープン化、透明化するという小沢氏の兼ねてからの持論に収斂するのではないか。それなら、記者クラブの特権である「制度」も記者室も記者会見もオープン化すべきで、タダで使用している記者室は国民の税金で賄われ、各省庁に勤務する職員にコピーさせたりして働かせているなど、そのケジメのない官僚と報道の腐りきった関係などの話を差し置いて、政治家だけに規制を課すように言及するのは厚かまし過ぎていかにも虫が良すぎる。まさしく実はここが「核心」だったりするんじゃないのか?東京新聞。
政治家が政治資金の事務処理において、領収書などをいちいち一枚一枚チェックすることが政治家の仕事だと思っていることこそ、とんでもない不見識極まりない愚の骨頂だ。政治家が国民の代表として果たすべき責務は国民のために「政(まつりごと)」をなすことであり、領収書をチェックすることではない。そのために秘書が会計責任者として担当し、政治家と秘書の役割をきちんと分離し責任の所在をつけているのであって、間違いなく政治資金収支報告書の責任者が秘書であるということであり、西松事件でコケた検察が暴走し、いわゆる陸山会事件で小沢氏が疑われた、ありもしない「共謀」をでっち上げたのが田代であり、吉田であり、木村であり、斉藤であり、佐久間であり、大鶴であり、堺なのである。その「共謀」がそもそもないのだから、政治資金規制法で問われるは会計担当責任者の秘書であり、しかもそれがたとえ石川知裕議員であったとしても、それは単なる「期ズレ」であり修正が必要と有らば、それは修正で済んだ話なのである。よって「政治資金制度の根幹部分を改正することも急務」など本末転倒と言っていいだろう。

*修正加筆。
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