Sekilala&Zowie

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【戦後史の正体】孫崎氏「ピアソンビル、ピアソン国際空港「米国との対峙は厳しいこと。しかし毅然として生きていこう。時に不幸な目にあうかもしれない。でもそれを皆で乗りこえよう」という強いメッセージ」/対米自立外交をカナダに学べ-稲村公望 by 月刊日本


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対米自主外交をカナダに学べ  稲村公望
9月 26th, 2012 by 月刊日本編集部.http://gekkan-nippon.com/?p=4402
わが国が真の独立国たろうとするならば、現在の日米関係を変えねばならない。現在の日米関係は主従の関係に過ぎないからだ。わが国が真に独立するためにも、その後に独立を維持するためにも、対米外交は避けて通れない問題である。今回は対米外交の要諦を探るべく、独自の対米自主外交を模索してきたカナダの事例を稲村公望氏に伺った。

米大統領に胸ぐらを掴まれたピアソン首相
―― カナダ外交は国際協調主義で名高い。
稲村 カナダはG8やG20に参加するなど、国際社会において一定のプレゼンスを持つ国だ。国連を中心とした国際協調外交も有名だが、特にその対米外交が注目に値する。
 確かに日本とカナダは、正反対と言えるほど大きな違いを持っており、安易に比較することはできない。だが、超大国アメリカの強大な影響力の中で、どのように自国の国益を追求するのか、という課題は共通だ。カナダがこの課題に対して、どのように悪戦苦闘したのかを学ぶことは、対米自主外交を考える上で有益なものとなる。
―― カナダはどのような対米自主外交を行ったのか。
稲村 ここでは日本にとって参考となり得る二つの事例を紹介しよう。1965年のピアソン首相(1963~68年)による北爆反対演説と、2003年のクレティエン首相(1993~2003年)によるイラク戦争不参加だ。
 1965年4月、ピアソン首相はアメリカのテンプル大学で講演を行った。彼はアメリカのベトナム戦争介入に理解を示しつつも、北爆はベトナムの屈服ではなく、さらなる態度の硬化を招くだけであり、停戦のためには北爆の中止が必要だと主張した。これは北爆反対演説と捉えられ、翌日の首脳会談は波乱なものとなった。ジョンソン大統領は演説を裏切り行為だと激怒し、ピアソン首相の胸ぐらを掴んで「よくも俺のカーペットに小便をしてくれたな」と罵倒したのだ。
 その後加米関係は悪化し、アメリカが同盟国に供与するベトナムの情報は、カナダには提供されなくなった。
 北爆反対演説は加米関係の悪化と政権の不安定化に繋がるとして、事前に国内からも反対されていた。演説後もその是非を問う議論が盛んに行われた。
 だがベトナム戦争の戦況が悪化していくにつれ、この演説の評価は肯定的なものとなっていった。その結果、カナダは1967年に国連総会で公式に北爆停止を呼びかけることに至った。この事例はカナダを平和国家として評価する際に、よく引用されるものである。
 だがその半面、カナダはアメリカに対して武器・弾薬を売却し、軍需景気に沸いていた。またベトナム戦争には約一万人のカナダ人が志願兵として参戦した。さらに悪名高い枯葉剤もカナダ国内で製造されていた。このことは、メープルリーフ(楓の葉)を国旗とするカナダにとってこれ以上ない皮肉だが、国家にとって不可欠なマキャベリズムを示す好例でもある。カナダの二枚舌を責めるより、そのしたたかさを見習うべきだ。
 ピアソン外交は、その後カナダ外交の伝統となった。現にカナダ外務省の建物はピアソン・ビルと呼ばれ、またカナダ最大の空港はトロント・ピアソン国際空港と名付けられている。これはカナダ国民が、ピアソンを成功体験とした結果に他ならない。
―― ピアソン首相がカナダ外交のシンボルになった。
稲村 ピアソン首相はアメリカに対する反骨精神の象徴であり、それが国民に広く浸透しているという点が重要だ。
 アメリカ合衆国大統領に胸ぐらを掴まれてでも、主張すべきことは主張しなければならない。現在の日本では、胸ぐらを掴まれることはおろか、そもそも主張することすらままならない。アメリカの意向を忖度する外交が罷り通っている。郵政民営化やTPPが良い例ではないか。これは独立国の外交ではない。

イラク戦争参加を拒否したカナダ
―― ピアソン外交を礎石として、カナダはイラク戦争への参加を拒否した。
稲村 2001年の9・11以後、アメリカをはじめとする国際社会はテロとの戦いに突入した。米英は同年10月にアフガン戦争を開始し、国連とNATOの承認を得たカナダも参戦した。
 年が明けると、アメリカの矛先はイラクへ向けられた。イラクは大量破壊兵器を保有しているため先制攻撃を加えねばならない、とアメリカが主張し始めたことにより、イラクへの武力介入の是非が国際的な問題となった。国連はイラクへ武力介入するかどうかは、大量破壊兵器の有無によるとして、それを確認する査察団をイラクに派遣した。そして2003年2月に、査察団によって大量破壊兵器は発見されなかったという結果が報告された。
 だがアメリカとイギリスは、イラクが期限内に武装解除しなければ武力行使を行うという新しい国連決議を計画した。最後通告とも言える決議案に賛同したのは、日本とオーストラリアだけだった。
 一方カナダは慎重な態度をとり、イラクが大量破壊兵器を有しているというアメリカの主張に疑問を呈した。さらにアメリカは唯一の超大国であるのだから、その武力行使には、国際社会の理解と適正な法の手続きが必要不可欠だと諫言し、単独行動を辞さない構えのアメリカに自制を求めた。
 カナダ政府のこのような対応は、加米関係を悪化させるのではないかと、国内からも懸念の声が投げかけられた。しかしクレティエン首相は「カナダはアメリカの51番目の州のごとく振舞うべきではない。相手がすばらしい友人であろうと、カナダの利益を守るのが私の役目だ」と述べ、独立国の矜持を示したのだ。

では、今の野田(松下属米)政権が米国の圧力にどう対応しているのか?もうすでにご存知とは思うが、上記、記事の流れで再読してみると。。。東京新聞記事より

原発ゼロ「変更余地残せ」 閣議決定回避 米が要求
2012年9月22日 朝刊 http://www.tokyo-np.co.jp/article/economics/news/CK2012092202000098.html
 野田内閣が「二〇三〇年代に原発稼働ゼロ」を目指す戦略の閣議決定の是非を判断する直前、米政府側が閣議決定を見送るよう要求していたことが二十一日、政府内部への取材で分かった。米高官は日本側による事前説明の場で「法律にしたり、閣議決定して政策をしばり、見直せなくなることを懸念する」と述べ、将来の内閣を含めて日本が原発稼働ゼロの戦略を変える余地を残すよう求めていた。
 政府は「革新的エネルギー・環境(エネ環)戦略」の決定が大詰めを迎えた九月初め以降、在米日本大使館や、訪米した大串博志内閣府政務官、長島昭久首相補佐官らが戦略の内容説明を米側に繰り返した。
 十四日の会談で、米高官の国家安全保障会議(NSC)のフロマン補佐官はエネ環戦略を閣議決定することを「懸念する」と表明。この時点では、大串氏は「エネ戦略は閣議決定したい」と説明したという。
 さらに米側は「二〇三〇年代」という期限を設けた目標も問題視した。米民主党政権に強い影響力があるシンクタンク、新米国安全保障センター(CNAS)のクローニン上級顧問は十三日、「具体的な行程もなく、目標時期を示す政策は危うい」と指摘した。これに対して、長島氏は「目標の時期なしで原発を再稼働した場合、国民は政府が原発推進に突き進むと受け止めてしまう」との趣旨で、ゼロ目標を入れた内閣の立場を伝えていた。また交渉で米側は、核技術の衰退による安全保障上の懸念なども表明したという。
 エネ環戦略は十四日に決めたが、野田内閣は米側の意向をくみ取り、「エネ環政策は、柔軟性を持って不断の検証と見直しを行いながら遂行する」という短い一文だけを閣議決定。「原発稼働ゼロ」を明記した戦略そのものの閣議決定は見送った。
 大串、長島両氏は帰国後、官邸で野田佳彦首相に訪米内容を報告している。
 政府関係者は「事前に米側に報告して『原発稼働ゼロ』決定への理解を求めようとしたが、米側は日本が原発や核燃サイクルから撤退し、安全保障上の協力関係が薄れることを恐れ、閣議決定の回避を要請したのではないか」と指摘している。
◆「判断変えてない」大串政務官
 原発ゼロをめぐる米国との協議について、大串博志内閣府政務官は二十一日、本紙の取材に対し「個別のやりとりの内容は申し上げられないが、米側からはさまざまな論点、課題の指摘があった。米側からの指摘で日本政府が判断を変えたということはない」と話した。
◆骨抜き背景に米圧力
 <解説> 「原発ゼロ」を求める多数の国民の声を無視し、日本政府が米国側の「原発ゼロ政策の固定化につながる閣議決定は回避せよ」との要求を受け、結果的に圧力に屈していた実態が明らかになった。「原発ゼロ」を掲げた新戦略を事実上、骨抜きにした野田内閣の判断は、国民を巻き込んだこれまでの議論を踏みにじる行為で到底、許されるものではない。
 意見交換の中で米側は、日本の主権を尊重すると説明しながらも、米側の要求の根拠として「日本の核技術の衰退は、米国の原子力産業にも悪影響を与える」「再処理施設を稼働し続けたまま原発ゼロになるなら、プルトニウムが日本国内に蓄積され、軍事転用が可能な状況を生んでしまう」などと指摘。再三、米側の「国益」に反すると強調したという。
 当初は、「原発稼働ゼロ」を求める国内世論を米側に説明していた野田内閣。しかし、米側は「政策をしばることなく、選挙で選ばれた人がいつでも政策を変えられる可能性を残すように」と揺さぶりを続けた。
 放射能汚染の影響により現在でも十六万人の避難民が故郷に戻れず、風評被害は農業や漁業を衰退させた。多くの国民の切実な思いを置き去りに、閣議での決定という極めて重い判断を見送った理由について、政府は説明責任を果たす義務がある。 (望月衣塑子)


先日、中南米にて、ベネズエラ大統領選挙が行なわれ、チャベス大統領が再選した。この選挙中の、ベネズエラ国内におけるチャベスに対するネガティブキャンペーンはものすごいものだったと八木さんが語っている。それ以前からそうであったが、それにはもっと直接的な要因があるのだという。今回の対立候補のエンリケ・カプリレスという候補の父親が、いわゆるメディア王と呼ばれるメディア界を牛耳っている人物なんだそうで、その構図がベネズエラ国民にもわかり易かったと教えてくれた。
なんといってもこのネガキャンの大元をたどっていけば、どこの国の意思が影響を与えているのかということは、これまでの様々な中南米での工作によって既知であり、それがベネズエラの国民の賢明な選択によって54%がチャベスを支持したということのようだ。
それに比べ、記者クラブという大手新聞マスメディアという情報カルテル組織の情報利権共同体が、官僚と手を組んだ官報複合体によって操作する情報を『鵜呑み』にする日本人が7割もいる(数年前の調査)というのだから、米国の「占領統治システム」がどれほど行き届いているのかということを表している。ただ、一言『民度が低い』と日本人を切り捨てるのは気が咎めるが、日本は中南米や中東より国民の意識が低くさせられているぶん深刻だということはいえる。しかしまったく希望がないわけではないと思う。歴史に学び、中東や中南米の実際の事例に学ぶ。そして、やるべきことは色々あるとおもう。

*追記:マスコミに載らない海外ブログ記事「ベネズエラ大統領選挙: チャベスかワシントンかの二者択一!」より一部抜粋http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2012/10/post-7a17.html

カプリレス・ラドンスキは、チャベスを打倒しようとして失敗した、2002年4月のアメリカに支援されたクーデターに深く関与しており、そのため、かなり投獄されていたことを考えると、それだけではない。



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