Sekilala&Zowie

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ペテンを避けるとそこにあるのは

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ペテンを避けるとそこにあるのは、

虚実混交の策士と無責任組織の網だった。

この網から逃げられる人は逃げたほうがいいかもしれない。原発事故による被曝問題だけのことを指すのではなくても。

外交・安全保障分野において、もう随分前に「新たなる戦前の始まり」と警鐘を鳴らしてきた極小数の知識人は、陰謀論者にされてきた。

日本は米国の属国である。アメリカの従属国である、と言っても、それは陰謀論だとして、多くの人が耳を傾けず、一言で片付けてきた。理由は、今まで自分自身が信じてきたものが総崩れしてしまうから。崩れてしまうと、これから先、何を信じていいか分からず、その時点で、思考が停止してしまうから。

例えば、ISの人質事件にしても、テロには屈しないという、一見聞こえは良いフレーズで、思考停止状態に陥りそうになり、それはおかしいではないかと思う。そして、誰か正しい情報を発信していないだろうかと、インターネット上をさまよい、ツイッター、フェイスブックなど、あらゆるソーシャルメディアを探る。

もちろん、自民党員のネット工作員もウヨウヨいて、2ちゃんや、まとめサイトでデタラメ情報が氾濫、彼らが得意とする一部切り取り印象操作、一部だけしか正しくないことを全てに当てはまるかのような虚偽や、はたまた逆に、全てに通じるものを一部分だけに留めおくための矮小化、ネガキャンが乱れ飛んでいるなか、かいくぐって辿り着く情報は、とてもありがたく感じる。

IS関連に限って言えば、その数名の情報発信者は、中東に精通しており、ISとも繋がりを持つ、とすれば、よりリアルに近づくと誰もが思う。


    


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しかし、その情報発信を以前より注視していた者にとっては、かなり胡散臭い。

ある面においては、どう考えても虚実混交のうえ、印象操作と誘導によって騙されている人が多い。

でも、ISの人質事件の時は、かなり重宝され、主要メディアでも重用された。重用されれば注目を浴びるので、そこで当方からすれば、一部事実とは真逆の情報発信を始める。そうやって、多くの人が、そのほぼ偽情報か、あるいは一部分だけにフォーカスした極めて作為的な情報を掴まされ信じ騙されていく。

それは、普通の一般人だけでなく、著名な知識人でもその説をツイッターなどで引用しているところを見ると、騙されているのだからなかなかテクニカルだ。

今や複雑な中東や欧米などの国際関係を見ていく時に、僕達が国内において、主要メディアやマスコミの情報を信じられないように、海外の情報を西側の主要メディアだけに頼ることは、同じように危険であるといえる。

対岸の火事のように、自分とは直接関わりのない出来事のように思える国際関係のニュースを読み解くときも、西側の主要大手メディアの情報だけを引用することはもはや愚かしいと言ってもいい。

ウィキリークスやスノーデンなどが暴いたファイルは、ハフィントン・ポストやガーディアンなどで掲載された経緯から考えると、その分だけ信頼があると言えるが、基本的な構造が違うことをまず知らなくてはいけない。

海外と日本国内でのジャーナリズム、ジャーナリストの資質と、報道機関の構造がまるで違うので、メディア媒体そのものを信じるという思考そのものが、この日本で慣れ親しんできた思考停止の残滓ともいえる。

日本国内で言えば、記者は組織に属する単なるサラリーマンである。その組織の集合体が記者クラブであり、そこの枠内でしか報道できない。事実とは無関係に。

海外では、個々のジャーナリストとして、組織に帰属する。だから、自身のジャーナリズム精神に反すれば、その社を辞め、他のメディアと契約し、再び情報発信をする。読者は、組織の発信する情報を読むのではなく、その記者のジャーナリズムに共感し、その人物の情報を追うように、購読媒体も変えていく。つまり、個人のジャーナリズムに基づいている。

組織の歯車として動く日本の記者クラブジャーナリズムでは考えられない。逆に言えば、個人の責任が問われない。個人の責任が問われないということは、その責任は組織全体が1つの個として負うものである。現に、民間企業においても、サラリーマン一人ひとりがその責任において、己の属する企業の看板を背負い、一歩外にでれば、その企業の代表者として対外的に接する。

しかし、ことマスコミにおいては、そこを履き違える発言をする人がいる。

特に、抗議行動の現場や、官僚との折衝などでしばしば出てくる言説がある。

「現場の人間は良い人だから悪くない。組織の上のほうがダメなんだ」

「この人たちは一生懸命取材してくれている(訴えを聞いてくれている)。上がダメ」

現に、問い詰められた記者の口からも

「僕は、あなたのおっしゃっていることは、本当にその通りだと思う。どういうふうにニュースになるかは、僕が決めていることではない。上のほうで決まる。だから私は分からない」

こうやって、その場を凌ぐ。

官僚も同じ。若手しか出てこない。その若手の官僚は、彼らの中では、市民の苦情を聞くのは、出世のための修行のように扱われている。だから、出世のためにやむを得ず、その場の数時間を、言質を取られないように注意を払いながら、ただひたすら耐えぬく。

少し前、ある官僚の本音がバレたことがありました。

この二つの組織(マスコミと官僚)が、実際には、世論という風を作り出していることに、どれだけの人が気づいているだろうか。

そして、その二つの組織こそ、この社会における重大な責任を負っているにもかかわらず、こんなその場しのぎの責任逃れをしている社会的地位にいる。

そして、それをそのまま鵜呑みにし、許しているのが今の日本の惨状を物語っていると思う。

今日は、ただの愚痴。テンプレを新しくしたので、駄文を書いてみた。
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