Sekilala&Zowie

No one is free, even the birds are chained to the sky.


現実を見て見ないふりをする未来志向の危うさ

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現実を見てみないふりをする未来志向の危うさを感じる今日この頃。

とあるブログが、フェイスブックなどで多くの人に共有されているという。そのブログには、戦争や原発に反対や批判をせずに、肯定的な言葉を使って意思表示をしようというもの。要するに「戦争反対」とか「原発反対」とかいう言葉は負のエネルギーなので、「世界平和」とか「自然エネルギー推進」とか、そのような前向きな言葉を発することによって世界を変えていこうという考え方。

量子力学に基づくと書いてあるけれど、量子力学というよりも量子物理学の考え方なのだろうが、この「科学万能主義」的な思考について、最近、特に違和感を感じざるを得ないのは、「科学的に証明された」ものが全て正しいことで、科学的に証明されていないものは全て嘘かインチキであるかのような「科学信奉」みたいなものの蔓延が、まさに「原発安全神話」を生み出したのではないかと危惧しているからである。

原発の安全神話というものの背景にある「科学的に証明」されてきた「安心、安全」には、「科学的」なトリックがいくつも埋め込まれていた。かねてよりますます日本に欠落しているのは「科学」的なものではなく、圧倒的に「哲学」や「倫理」ではないかと思う次第。

例えば、そのブログに書かれているのは、戦争に反対するのは戦争が憎いからで、戦争をしてはいけないという気持ちの表れで、それは負のエネルギーなのだから、戦争に反対せず、平和を願いましょう、と言う。

この安直な導き方は、今のこの危機的な現実から目を背けるための「マイナスのエネルギー効果」をもたらすものだとも言えないだろうか。別の言葉で言うと、ガス抜きであり、無力化であり、矮小化である。厳しい言い方をすれば、危機意識の欠如、平和ボケ。

政治は生活である。これは、消費税の問題ひとつとっても、また年金の問題ひとつとっても、私たちの生活に直結するような死活問題だ。憲法25条で保障されている「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」問題とも言える。人が生きるか死ぬかという人間生活に密接にかかわる問題であればあるほど、政治と真剣に向き合わなくてはならない。

ましてや、これまでのような「お任せ民主主義」などではなく、全ての情報をマスコミに依存できない危機的状況でもある。本当のことを知ろうと思うと、自分から情報源にアクセスしていく積極的なアプローチが不可欠となっている。ただ、垂れ流しの情報を鵜呑みにする平穏な時代ではなくなった。日本は、今そんな情報環境にない。

にもかかわらず、そこへの関心を削ぐマイナス効果しかもたらさない思考は、現実逃避の何ものでもない。あるいは、提唱者自身が危機意識を感じる必要のないほど裕福で、自身の生活に差し障りのない問題だから言えてしまうのか、そうでなければ、ただ「平和」を望んで、結果として決まってしまった悪政の搾取に耐えながらも、日々追い込まれていきながら、それでもただ「平和」を願え、とでも言うのであろうか。

今や世界中で99%対1%の戦いは先鋭化し、デモや抗議行動など、世界各地のさまざまな都市などで頻発している。弾圧に耐えかね、過激化していく者たちもいる。そうした者たちをアメリカのような帝国主義の輩が彼らに軍事的価値を見出し、彼らは無自覚に軍事覇権国の手先になり利用されている。そのバックには、世界を戦争状態に据え置くことで膨らみ続ける軍需産業と政治家と官僚たちによる軍産複合体の悪辣な計画が展開されている。

では、日本は対岸の火事なのか?

今現在進行している出来事は、「政治」だけの問題ではないことを、多くの人が共有しているからこそ、危機感を感じているからこそ、みながさまざまな形で、できる限りの手段を使い、「反対」の声を挙げている。

しかし、この法案の行く末によっては、「反対の声」も思わぬ形で収束してしまうかもしれない。みなさんは、最悪のケースを想定したことはあるだろうか?前回のブログ記事に多くのアクセスを寄せていただき、共有共感していただいた方々、これから起こるかもしれない最悪のケースを、当ブログの妄想として一笑に付す、という結果になれば、むしろ幸いだと思う。

ただし、そうならない可能性が出てきたので、以下、ざっと書き記したいと思う。


    


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ここ最近の当ブログ記事のテーマは、安倍晋三内閣が違憲の閣議決定を行ない、そのもとで安保法案を提出し、国会の審議にかける過程で起きた出来事、特に、維新の党の対案の怪しさについて、指摘してきた。何故なら、野党分断のにおいを感じたからだ。しかし逆に、維新を応援しよう、維新を批判する者は、この流れを分断しているとして、批判の対象にされようと感じたことから、事実を一つ一つ精査していく必要を感じてのこと。

そして、なにより、元々「維新の党」について批判的だった人たちまでもが、「野党分断」というレッテルを恐れ、口を閉じてしまうことに危惧を感じたからだ。この「批判」の声を封じる手口は過去にもあり、言論を封じる手段としては効果的なので、そういう意味での危機感も感じた。

やっぱりそれでも維新を応援し、大同団結すべきと思われるだろうか?衆議院の強行採決の際には、野党は議決には応じなかった(某爺党は別として)。その時点では、当方も、維新は裏切らなかったと一安心した面があったことは否めない。

しかし、別の見方をする人物がいた。緊急の談話を発表した「生活の党と山本太郎となかまたち」の代表である小沢一郎氏である。まずは一読を。

以下、転載。

安全保障関連法案の衆議院通過を受けて(談話)

2015年7月16日

生活の党と山本太郎となかまたち
代表 小沢一郎

本日、政府提出の安全保障関連法案が与党の自民党と公明党による強行採決によって衆議院を通過しました。この法案が参議院での審議、採決を経て成立することになりますと、時の政府の判断で日本国憲法の平和主義、国際協調という基本理念や9条の原則も全く無視して、無原則に自衛隊を海外のどのような紛争にも派遣できるようになります。

また、集団的自衛権としての海外派兵問題に焦点が当たっていますが、そもそも個別的自衛権についても拡大解釈する余地が非常に多く含まれています。日本は、戦前の昭和史において、個別的自衛権の拡大解釈によって大陸に兵を進めました。つまり、個別的自衛権の無原則、無制限に拡大解釈されれば、非常に恐ろしい結果を招くということは、歴史が証明しているわけです。

今回の法案が成立すれば、限定的といいつつも、集団的自衛権の行使が可能となります。しかしながら、国会審議の過程で、何らの歯止めのないことが明らかになりました。つまり、日本が攻撃されているといないとにかかわらず、時の政府の判断で全く無原則のままに海外へ派兵できるということになってしまいます。このようにいい加減で国民と国の将来にとって非常に危うい法案は、国会を絶対に通すべきではないとの考え方のもとで、私たちは今日の衆議院本会議そのものを拒否し欠席いたしました。

他の野党は討論をしてから退席されました。討論を行うということになれば、より意思表示を鮮明にできるのは採決の賛否になり、採決に加わるということは当然の筋道です。私たちは、これ程いい加減な法案の採決そのものに反対しており、討論が採決の一部であるとの認識から衆議院本会議を欠席いたしました。

安全保障関連法案は、衆議院を通りましたけれども、参議院を通過しなければ法律になりません。もし参議院で否決されるか、60日間意思決定をしなければ、衆議院に戻って再議決になります。従って国民の皆さまの支援さえあれば、まだ法案の成立を阻止することはできます。私たちも廃案を目指して全力を尽くして参ります。国民の皆さまにおかれましても、廃案に向けてこれまで以上に積極的に行動を起こしていただきますようお願い申し上げます。



我が無知ゆえに、認識の甘さを思い知る。

小沢氏によると「他の野党は討論をしてから退席され」「討論を行うということになれば~採決に加わるということは当然の筋道」とし、「私たちは、これ程いい加減な法案の採決そのものに反対しており、討論が採決の一部であるとの認識から衆議院本会議を欠席」という筋論を述べられていた。

反対討論は採決の一部、という認識。つまり、「生活の党と山本太郎となかまたち」は、TV中継などに惑わされることなく、国民のために一貫した反対の意思を貫いた党ということだ。

また、昨日行われたデモクラTVに出演された小沢氏のインタビューも一部拝見したが、まったくぶれることなく、自論を展開、その気になれば、この安保法案を潰すことは可能、ただし、国民の絶大なるバックアップが必要と。

具体的には、参議院を通過し、衆議院に戻ってきたときに、不信任案を出す。その時の趣旨説明の機会には時間的制約はなく、その気になれば、何日でも続けることが可能。これは、実際に米議会で過去に行われた例があるそうだ。ただし、それをやるには、国民の大きな支援が必要、とのこと。

ただ、口酸っぱく小沢氏が言っていたのは、この政権が誕生したのは、国民の皆さんが選んだ結果だと。以前から何度も、国民の自立に言及していたが、ここでも同じことを述べていた。当方から言わせれば、マスメディアによる情報操作、世論誘導、印象操作を法的に排すために、特権的な電波利用を廃止し、多様なメディアとしてチャンネル数を増やすなどの大改革しなければ、国民の覚醒はないと思う。

もちろん、今回のNHKの件については、国民の関心が高い問題だけに、国会審議を放送しないという違法行為、露骨さが際立ったからこそ、「アベノNHK」に対する批判が集中しているが、根本的に反省したわけでもなく、今後も継続的に、NHKによる情報隠ぺいは行なわれる。

「生活の党と山本太郎となかまたち」は、テレビに映ってアピールするより、国民の代表たる国会議員が集まる国会を軽視せず、筋を通した。

さて、最悪のケースとはなんぞや、と、ここまででイライラされた方がいるとすれば、申し訳ない。

衆議院で否決、廃案となった維新案。合憲とお墨付きを与えた形の小林節教授のIWJインタビューを見ても、合憲の根拠は示されなかったと言っていい。しかし、多くの方は、小林教授インタビューを肯定的に捉え「小異を捨てて大同につく」というコメントをつけ、ツイートされている様子。そして、中には、小林教授の中韓に対する認識に違和感を感じたにもかかわらず、「例え話」か「冗談」で済ます人もいる。

もう一度言うが、小林教授は、「「憲法を守って国が滅んじゃ意味がない」と述べ、中韓の人々をを下等民族のように扱い、「ジャパンアズナンバーワン、再び」と述べた。そして、軍事技術の進歩によって個別的自衛権で説明がつくといった話の内容は、およそ説明がつかないものだったし、日本周辺なら、国際的にも、日本がそう主張すれば通るという趣旨だったが、これもまた有り得ない話だった。

そのうえで、「安倍晋三政権を倒す」という目的のために「小異を捨てて大同につく」とコメントをつけてツイートをされ、多くが賛同されているような状況だ。前段の「安倍晋三政権を倒す」のに異論はない。ただ、そのことと「維新の対案」が一致しないということに、なぜ気が付かないのか?と指摘している。

そのことをさらに示すような事実を知ることとなる。ここからが今日の本題。(引っ張ってすいません)

まず、維新の党の対案は衆議院で否決された。そして、自民党の憲法違反の安保法案が衆議院を通過し参議院に送られた。これが現実であり事実。

では、維新は参議院において、どのように対応するのか?ということを注視しなければならない。衆議院の反対討論の際の、下地幹郎氏には、批判ツイートが多かったが、それは水島朝穂教授が指摘されていたように、「もう戦争をするかどうかを決めるわけですから」だからだ。

維新の対案は限定的武力行使だという。その説明は維新自身が述べたとおりだ。しかし、同じような説明をしている人物がいる。それは、中谷防衛大臣である。この記事を見たとき、維新の案を説明しているものだと勘違いした。が、違った。政府として説明したものだった。つまり、ほとんど変わらないということがよくわかる。百聞は一見に如かず。

以下、転載。

「明白な危険」で集団的自衛権=米艦防護、攻撃前でも-中谷防衛相

 中谷元防衛相は13日の衆院平和安全法制特別委員会で、日本周辺海域で邦人輸送やミサイル警戒に従事している米艦船の防護に関し、米艦が攻撃される前の段階でも攻撃を受ける「明白な危険」があれば、日本が集団的自衛権を行使する可能性があるとの認識を示した。民主党の後藤祐一氏への答弁。
 
 防衛相は、朝鮮半島有事などで米軍が既に交戦状態に入っている状況を念頭に、「まず米国への攻撃が発生している。同時にわが国への攻撃が切迫している」と想定。「そういう状況の中で、邦人輸送中、あるいはミサイル警戒に当たっている米艦艇が攻撃される明白な危険の段階で(集団的自衛権行使の要件となる)存立危機事態が認定可能だ」と述べた。(
2015/07/13-17:24時事通信)



維新案の説明と比べて、どうだろうか?

集団か個別か、という呼び方ではなく、説明はほぼ同じではないか。維新は個別と主張するが、実際、それは集団的自衛権であり、自民と同じく違憲であると指摘する憲法学者(水島朝穂、青井未帆、長谷部康男氏ら)もいる。従来の政府公式見解からしても、普通にそうなるのは明らかだ。

そして、今朝の報道2001では、「対案」を出さない野党は責任を果たしていない、という空気の醸成が謀られた。民主党の細野氏や維新の柿沢氏も、自民党案が違憲だと認識しておきながら、つまり、憲法に違反していると理解しているにもかかわらず、「対案」を出すことに意欲的だという。

憲法に違反している法案に対して、「対案」を出せというフジテレビの平井や自民党の稲田などの圧に押されて、徹底議論しようという流れになっていったようだ。しかも柿沢氏は、細野氏に指摘されてカチンと来て、「ここでなぜ私を敵に回すのか」などと述べたと自身が出演後にツイートしている。

細野氏が何を言ったかというと、維新の対案といっても提出しただけでは意味がない、という趣旨の批判。これに「そこまで言うなら、民主党も出せばいいじゃないか」と応じた柿沢氏。この構図、完全にフジテレビ稲田連合の手のひらに乗って転がされている感が否めない。このチキンレースは、見ているものを不快にさせるだけでなく、自民党にすり寄る野党の崩壊の象徴的なシーンではなかったかと思うくらい。(TVがないのでYoutubeで確認)

要するに、どっちが組長に気に入ってもらえるか、みたいなやくざな話。表面的には、政府批判をし、自民党案に突っ込みを入れる両者。しかし、ここで飛び出す稲田発言は、「維新の案は自民党の案とそんなに変わらない」というよいしょ。そこで気分よくなった柿沢氏に突っ込みを入れる細野氏。その細野氏にカチンとくる柿沢氏。

おまけに、稲田は「民主党ともそんなに安保保障の考え方は変わらないので、ぜひ対案を出していただいて議論しましょう」と言われると、細野氏も「ぜひ徹底議論しましょう」と応じる。

何でしょうね、この出来レース感は。

さらにダメ押しだなと思ったのは、これまたフジサンケイ系のZakZakに掲載されていた記事。まず、自民党側の腹の内を知る必要があるが、衆議院を強行採決した際には、「時間が経てば国民はいずれ忘れる」と思っている。国立競技場の話も、安倍晋三の決断ということをアピールすることで、話題も逸れるし、イメージ回復に繋がる可能性もあると踏んでいる。なによりもその証拠に、NHKをはじめとする各マスメディアがアベノ広報を行ない、国民を洗脳してくれるから、ある意味では安倍晋三は、北朝鮮の金正恩気分でいられる。

くれぐれも誤解しないほうがいいのは、安倍晋三はへこたれてはいないということ。その証拠として、7月15日の岸信介内閣が総辞職をした日に、わざわざ安保法案を衆議院通過させているということ。これは、「俺は潰されない」というメッセージだ。日刊ゲンダイなど、あとちょっとで安倍が倒れそうだというニュアンスの記事があるが、もちろん希望を持たせる意味もあるのだろうが、過度に期待するのは危険である。

では、ZakZakの記事、自民党高村と維新の片山発言の部分を抜粋引用。

「(維新との協議は)引き続いてやりたい。維新も『ぜひ、そうしたい』ということなので、続けさせていただく」

 自民党の高村正彦副総裁は16日の衆院通過後、記者団にこう強調した。

 維新の片山虎之助参院会長も「今の政府案のままでは問題があるので、維新の考え方を入れて直してもらいたい。そうすれば場合によっては賛成できる」と語り、協議に前向きな姿勢を示した。



フジの揺さぶりだろうが、しかし、片山氏は「場合によっては賛成できる」と述べた。ここで、最悪のケースが頭に浮かんだ方は何人いらっしゃるだろうか?維新案の周辺地域に関する対案は、自民党とたいして変わらない。イランとアメリカが合意に至ると、ホルムズ海峡の話もほぼ消える。問題は、南シナ海の部分。ここが話し合われ、妥協点(あいまいにする)を見い出すことになり、維新案を取り込むことで自民党案そのものが「合憲」になるという筋書きが見え隠れしなくもない。

そうなると、維新としては、民主を出し抜くことにもなり、実績(汚点)もつくので「場合によっては賛成できる」ということになり、60日ルールの必要性もなくなる。しかも、自民党案に対する反対の声は「憲法違反」なのだから、「合憲」の維新案を飲むことで、その批判をかわすこともできる。

維新がなぜ昨年の7月1日安倍内閣の解釈改憲閣議決定(憲法違反)を否定しないのか?の答えがここらあたりにあるかもしれない。

これが当方が現時点で考え得る最悪のケース。妄想で終わることを期待する。
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