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【110415 保坂のぶと氏インタビュー】by IWJ 岩上安身氏 *サマリー

【2011.04.15 保坂のぶと氏インタビューBY岩上安身氏(IWJ)】*サマリー

岩上安身氏
「保坂さんの事を知ったのはずいぶん昔。若い頃から有名だった」
保坂のぶと氏
「実は中学から高校へ行くときに高校から拒否された。ベトナム戦争がこうなっているとか社会問題を自分で新聞を作って撒いていたという事が政治活動をしたとして校則に違反したと議論になり、内申書に書かれ、結果5つの高校に落とされた。それを見ていた人たちがこれは酷いじゃないかという事になった。そして裁判に訴えようということになり僕が原告になった。その裁判は16歳の時から32歳まで続いた」
岩上
「保坂さんの歳と私の歳の差は4つ。4つというのは近いようで意外にニュースカルチャーの体験においてはギャップがある。保坂さんはフリージャーナリストやルポライターなどの先輩に当たる人。ずいぶん若いうちからこの世界に飛び込まれているがおいくつから?」
保坂
「少年時代に裁判を起こしたので、当時、新聞メディアではH少年と書かれ、いろんな人が会いに来た。そんな中で定時制高校3年で中退し、日本国内で色んなものを見てやろうと色々な仕事をしていた。
すぐに発表するつもりは余りなく、自分で文章を書き、蓄えていた。やはり、裁判という事がきっかけで、自分の事件は憲法の授業を選択すると出てきたり、司法試験にも出てきたりするような有名事件だった。
最初の判決の日、21歳くらいの当時は顔中ヒゲだらけの岩窟王のような容姿。『どうせこの裁判なんか負けるに違いない』と思っていた。ところが全面的に勝ってしまった。裁判所に行くとカメラが何台も並んでおり『今日、なんかあるんですか?』と聞いたくらいだ。しかし翌日の人文社会面は一面トップの扱いだった。そのなかで世の中にもう一度知られるようになった。
当時、社会問題として校内暴力が取り上げられる少し手前のころで色々渦巻いていた。裁判のニュースを見て子供たちから手紙が届いたりしていた。と、同時に取材も来た。その流れのなかで若者が読んでいる雑誌で書いてみないか?という話が80年代の初めのころにあった。『月刊明星』や『週刊セブンティーン』とかで校内暴力問題とか戸塚ヨットスクール問題などの記事を書き始めた」
岩上
「肩書きとしてはご自身で何と呼んでいたのか?」
保坂
「長く教育問題を中心に扱っていたので、教育ジャーナリストという言い方をしていたが今で言うフリーターだった。最初はフリーライターと」
岩上
「僕は大学卒業後、出版社に入社し、週刊誌などを経てある程度組織の経験したのち、27歳ぐらいでフリーになった。保坂さんが20歳ぐらいでフリーになられた差などを考えると10年ぐらいのズレがある。
僕がフリーになった頃はバブルの頃で賑やかではあったが、あっという間にそれが終わり、その後、荒ぶ出版界が駄目になっていった。
その前の70年代の色んな面白い試みができた時代を保坂さんは若い頃に経験し活躍されていた」
保坂
「今振り返れば、最初に書いたデビュー作というのは当時の『月刊宝島』」
岩上
「僕も『宝島』で書いた事があり、育てられた部分がある」
保坂
「デビュー作は100ページ書いた」
岩上
「(笑)それは凄い事だけど、初めて?」
保坂
「まったく初めて。それまで書いた事はなかった」
岩上
「ちゃんと原稿料ももらって?(もちろんもらった:保坂)そういう青年に100ページ書かせることが可能だった時代という事。編集長はどなた?」
保坂
「その時は石井さん。(石井さん、この間お亡くなりになりましたよね:岩上)思い切って任せるという人だった。そのあとでも校内暴力問題が社会問題化してきてテレビでは教師の意見や教育評論家の意見だけがニュースで流れる中で、暴れているツッパリや暴走族やいじめられている子らの当事者たちの声を書いていったら反響が大きく、その本が売れていった。
そういう中でテレビ東京のゴールデンタイムを一週間全部任せるという事もあった。(82年か83年)
その時期にいい経験をした」
岩上
「今では考えられない事。そして石井さんにチャンスを与えられたという話で我々が近いところにいたんだなと感じた。それは僕が最初に署名での原稿、30ページほどの記事のチャンスを与えられたのが石井さんだった。しかし、保坂さんのようにいきなり100ページを任されるような時代ではなく、だんだんと纏まっていく時代になっていた」
保坂
「その時代は“もっと大胆に世の中をひっくり返してみたらどうなるんだ”とか“実験してみよう”とかいうものが当たり前だった」
岩上
「アグレッシブで実験的な試みが常にあった時代だった」
保坂
「当然失敗する可能性があって、書けませんでしたという事のリスクもあった」
岩上
「100枚任せるということはそういう事ですね。リスクヘッジにならない。今の人たちはみんなリスクヘッジが非常に大事だと言う。結果、リスクは取らず何か冒険心みたいなものは乏しくなってもそれが普通の事のようになっている」
保坂
「例えば、私は去年、八ッ場ダム問題のDVDを作ったが、今ワイドショーの取材班なんかは宿泊禁止になっているが故に、朝9時に東京を出て11時ぐらいに到着し3時ぐらいには帰るその間撮影したものしか流れていない。少なくとも2週間かけたなんていうものがないので質が落ちている。もっと背景とかきちんと描いてほしいという要求はあると思うし、逆にこのIWJのUSTチャンネルが人気だと聞いている」
岩上
「保坂さんのイメージ。内申書裁判で若い頃から有名になり、教育問題を扱う今のライター達の先駆けであり、そういう保坂さんと、社民党の代議士、朝生などに出演され論客として活躍、国会でも質問され政府を追及していく、自前の調査能力を持つ代議士の保坂さん。別の人のような気もするが」
保坂
「年金問題でお世話になった方に自分の書いた本をあげた。置いてあるその本をその方の奥様が『この人良い人だったのに、最近テレビに出なくなったから亡くなられたのかしら?』と言われた、という話も(笑)同姓同名の政治家がいると言われたことも」
岩上
「その二つは重なり合っている。前回の落選から何をされていたかと先ほど雑談の間に聞いたら、隠れキリシタンの事を取材されていたと聞いて、趣味ではなくライターとしての仕事だということで」
保坂
「佐世保で女の子が同級生を殺してしまったという事件を2003年に国会議員を落選している浪人中の時に取材した。その学校の校長先生の言う事がどうも気になった。他の記者たちは全く関心がなかった。滔々としゃべる校長先生に出身を聞いたら生月島と。その校長先生からもっと本音を引き出したいという思いもあり、生月島へ。
するとそこでは隠れキリシタンの人たちが今でも組織を維持して活動しているというのを博物館の学員に聞いてちょっとショックを受けた。
そこに湧き起こった疑問や関心。単純な好奇心。それがずっと継続していた。
“いつか行きたい!”それを週刊朝日の人に話したら“面白いね”という事になった。
年末年始と儀式がおこなわれるタイミングで現地と連絡をとり、年末に行ったら“正月にも来てくれるよね”という事になり正月も行った」
岩上
「これは純然たるルポライターもしくはジャーナリストの仕事。どちらかというとルポライターの仕事」
保坂
「政治家というのを長くやっていると何でも政治的な言語になってしまう傾向にあって、何でも分析して世の中がこうなっている、と。私は分かっているが皆さん分かりますか?のような関係はいやらしいところがある。
しかし、なぜ隠れキリシタンが続いているのかとか、部落ごとに流儀が違うとか、キリスト教のそういう事も全く分からないので、まっさらになり、政治の事を一度頭からなくす事が出来た」
岩上
「それはうらやましい。みな、日々の生活の事で汲々とするなか、どこの世界にも業界というものがあり、そこでの立ち位置があり、自分が意識せずとも周囲に言われたりする。
また、マーケティング的な事、これはある意味いやらしい事だが、どうやったら売れていくかということだけ考えていき、データを組み上げ過去のデータに基づいて自分の身をこの程度置けばこれくらい売れるだろうというような計算、それらの事もストンと抜けて、ただただ興味だけで出来ること。
それを申し訳ないが50も過ぎて(笑)しかも代議士も落ちて(笑)」
保坂
「(笑)子供っぽいよね」
岩上
「でもすごい新鮮で“懐かしいルポライター”という響きの言葉を復活させたいくらいの若々しさが素晴らしいなと思った。やはり良い時代だったんですね。その時代の空気をたくさん深呼吸されたような」
保坂
「やっぱり宝島に100ページも書くと自分というものが持っていた認識が幾層にも変容していく。ある種、言葉の質も研ぎ澄まされてくるし、描いていく世界も広がっていく。そうすると読者もかなり深いところにストンと落ちるので出会いも濃厚になる。それが繋がってコンサートや祭りの依頼なども幾重にもきた。
実は音楽イベントも100回ぐらいやった。ロックコンサートの主催者とかプロデュース側でフェスティバルなども。日比谷野音などを借りたりして、要は自主制作コンサート。
デビュー前のブルーハーツ等は一応私が評価して呼んだり、上々颱風などもそう。尾崎豊が青学高校の3年生の時に私の本を読んでいたというのを集英社の人が言ってきて、デビュー前にインタビューをしたりもした。
音楽でその時代の空気を伝えていくというような感覚的な世界は今でも好き」
岩上
「そうした事はプロフェッショナルな感じよりも学園祭の延長のような」
保坂
「そう。僕はそういう意味では学校に行ってないので、大学祭のノリというのは講演で呼ばれる事はあっても自分がプロデュースするという行為がちょっとした難関に挑むみたいな遊びと趣味の感覚で20代の頃に経験した。
お金にならずに借金ができ、それによってまた意欲が湧くといったような挑戦が可能な時代だった。
この今の萎んだメディア状況を見ると本当に何とか変えないといけないなと思う」
岩上
「儲けようというような売り上げ重視でもなく」
保坂
「全然儲からない。例えば、沖縄で金環日食があった時、そこにアイヌの人たちを50人呼ぼうという企画。その50人を呼ぶための手配をやったが大変だった。それぞれの地域のかしらに話し合ってもらい、50名集め、飛行機とホテルを手配し行った結果、借金だけが残った(笑)全然儲かんない」
岩上
「(笑)でも凄くワクワクする。そういう事で言えば、このUST中継もお金にならない(笑)」
保坂
「でもカンパがたくさん来ているのでは?」
岩上
「見ている方が我々をあまりに可哀想なのでと」
保坂
「でも本当に凄い。30人ぐらいで動いてるなんて。たぶん、これを見ているという意識以上にこういう媒体があって色んな会見に粘ってきて、相手がもう嘘を付けなくなった。新聞やメディアのまとめ原稿の抜いた箇所が分かるようになったという凄い役割を果たしていると思う。一度お会いしたかった」
岩上
「いやこちらこそ。保坂さんが楽しそうにやっていた時代の後ろを気が付くと僕は歩いていたのに、必ずしも僕らの時代はそうはならず、かなりシステマチックに出来上がっていた。実験をして楽しんだ後の模倣、エピゴーネンが続いてある程度要領よく纏まっていればおいしい商売に授かるような時代になっていた。
いまや、もう自分を育ててくれたメディアがない事に愕然とする。
だから逆にこのUST中継という新しい事を思い切ってやる、表現できる場を作りたいという事で予備知識なく始めたが、こんなふうに育つとは思っていなかった。ツイッターも去年の正月に始めたばかりで」
保坂
「もう、だから既存のメディアのニュースというのは少しだけ部分的に見る程度で、もっと深いところはここで見ようという人たちが出てきているし、今度次はここで当たった焦点をもっと掘り下げていくもの、それが本や新聞であってもいいようなオルタナティブメディアみたいなものが育っていくことがいい」
岩上
「視聴者の方もこのUSTチャンネルが一本だったら例えばこの2時間を見ればいいけど、いま僕のところで8チャンネルあるので(笑)今それがフル回転で。
例えばこの2チャンネル、最初は経産省の会見をやり、そのあと原口さんの記者会見をやり、今保坂さんのインタビューといったように一つのチャンネルで3本やっていると見ている方も追えない。でも、この中継をツイッターで呟いたものをまとめてくれる人が出てくる。それが拡散していくと」
保坂
「それはすごい。なるほど、ちょっと面白いとそこに行ってアーカイブで見ることもできる」
岩上
「そうです。あるいは今こうして話しているときに、何かこの話面白いよ、と呟くと視聴者数がリアルタイムに上がっていき、それが分かる」
保坂
「原口さんと言えば、僕は去年総務省の顧問をしていた」
岩上
「お付き合いが?」
保坂
「郵政民営化の例のかんぽの宿問題を色々掘り下げるために。僕はチームプレイが得意で人を出し抜いたり成果を独り占めにすることは絶対にしないタイプで、色んな人の特性を生かした野党のチームを組んでやっていた。
だからあの国会でかんぽの宿が焦点になり、小泉郵政解散ってなんかおかしかったなという潜在意識で、実はあの結果、情報と利権を独り占めにしたグループがあったんじゃないかと。
その結果、国民はどうなったのか、市場原理は働いていたのか、などの様々なベクトルを持ち寄ってそれぞれ分担した。不動産が得意な人などそれぞれの得意分野で」
岩上
「あの時は民主党と?」
保坂
「国民新党。あの時チームを組んでやっていた主なメンバーが国民新党の亀井久興さんと僕と民主党の原口さんだった。亀井さんと僕の小政党が落選し、その後、総務省の顧問に迎え入れられて郵政の徹底調査というのを継続してやった」
岩上
「もう一人の保坂さん(政治家の顔)が急に被ってきましたが(笑)でも、やってる事は同じような原理なんですね。何か疑問があってそれを調べていこうという感じでやっていらっしゃる」
保坂
「国会の議論の中でも、世の中の分かりにくいなかなか解析しにくいものもある種の斬る角度、この角度から斬れば結構見えやすいというところを一生懸命探している。それで言うと《道路特定財源でミュージカル開催》みたいなものを見つけていって、それを調べだしたら意外な世界が見えてきたりとか。
ある種、政治のシステムの中で覆われていて大して面白くない世界をその時の関心に合わせて、これどうですか?というような料理の仕方で提起してきたんだと思う」
岩上
「それが手際よく、いつもその時々の時代のニーズに合ったものを出せたという事なんじゃないかと。恐らく金もうけに走っていたら、今の保坂さんはなかったんじゃないかと思う」
保坂
「良い協力者が増えてそれは本当にありがたい事。僕がそれをやった事で何か私腹を肥やすわけではないし、むしろ社会的に知っておいた方がいいという事を政治の場で突き出していくことで少し世の中が変わっていくという実感を周りから見ていた人が思ってくれている。
だから、その時々で何か問題が起きるとすぐに何人か協力者の顔が浮かぶような、そんな形で予算委員会の前日なんかは急に協力者に面会を申し入れたりしながらやっていた」
岩上
「先ほどカンパに触れられたのですこし。商業メディアの中でずっと生きてきた僕の頭の中にはそういったカンパということが思いつかなかった。USTをやり始めてから“カンパしたいので銀行口座を教えてほしい”という要望がきた。
ペン一本で原稿を書き、収入を得ることが当たり前だったが、それに驚き少し視野を広げ非営利法人や政治家の話を聞いてみると、色んな支えられ方があるのだと。市民に直接支えられるメディアというものがあり得るんだという事に気付いた。それはほんの1,2年の話。政治家も同じような構造になっているわけですよね」
保坂
「だって政治活動を有料にするわけにはいかないから(笑)」
岩上
「それですね(笑)陳情をそのままお金でやるわけにはいかないし(笑)」
保坂
「一昨年の7月の解散で国会議員でなくなった。去年、参議院議員選挙に臨み、いま又世田谷市長選挙に臨んでいる。衆議院選挙の10ヶ月後に参議院選挙、参議院選挙の10ヶ月後に世田谷市長選挙という事はカンパなしにはあり得ない。
これが驚くほど応援してくれている人の裾野が広がり、多額の人も500円の人もいて、いずれも有り難い。世の中を全部一気には変えられないかもしれないけど少しずつでも変えるんだという意志に対してスポンサーになるという事だろうと思う。そうした力は有り難く、それによって初めて準備ができる」
岩上
「そうしたどんな活動にもお金が付きまとう。そういったお金とどう付き合うかがすごく重要。先ほどの保坂さんの活動も儲かっていないとお聞きし、儲け優先だと世知辛いものになったかもしれない」
保坂
「儲かってなかったけれど、沖縄のイベントに関して言えば、沖縄は一つの国みたいなところがあり、そうした中でお祭りをやるという事を沖縄社会に受け入れてもらった。授業料としては高かったが、その経験がその後の活動に凄く役に立った」
岩上
「どのぐらいの借金だったんですか?」
保坂
「32,33歳の頃に500万ぐらいだったかな」
岩上
「小さな額じゃないですよね」
保坂
「ただ、色々走っているうちに収入を得る事が出来た」
岩上
「お金儲けが全ての善や価値であるというわけではなく、純然な興味の結果そうなったという事だろうと思う」
保坂
「その前に少し収入があった時期があった。集英社で出した学校問題の本が10万部超え、その収入を還元しようと代々木にマンションを借り、フリースペースを作った。そこに音楽や漫画をやる若者のグループが出入りした。その中に今活躍している西原理恵子さんなんかがいた。他にも色々いた」
岩上
「そうした人達を取り込むような自分のグループ化はしなかった?」
保坂
「全然しない。結局それを維持するのも大変なので、地方へ講演しに行ったりしていた。帰ってくると若者が1日4,50人出入りしているわけなので、その中の高校生が僕に向かって『初めての方ですか?』なんて言われ『ここ、俺の事務所だよ』なんて事も(笑)」
岩上
「僕の事務所もスケールは小さいけど、若干そんなところがある。この間、僕の事務所の僕の机で知らないおじさんが僕のパソコンで事務をやっていてびっくりした(笑)手伝いに来てくださったんですが。いま、色んな方がお手伝いの応募をしてくださってその取り纏めをしているのが19歳の女の子で“人事部長”と呼んでいる」
保坂
「そうした年齢の差や経験の差を超えて、梁山泊というか、色んな個性がぶつかりあい、それが湧き起こり意外なものが出来上がるというのがこういう世界の一番いいところじゃないかと思う」
岩上
「仰る通りで、互いに協力し合えるものはどんどん協力し合っていいんじゃないかと今は思ってやっている。こういう産業構造の変化、若い人はチャンスを与えられないと聞く」
保坂
「岩上さんのところのお話を聞いて思うのは、今の大震災と原発事故の現状は既存の役所や中央政府や都道府県では全く対応しきれない。そういう時にどんな迎え撃ち方ができるのかというヒントがあるように思う。
それぞれの自発性や流儀でバラバラに見えてひとつのまとまりがある。そういう形が誰かに指揮されたり主導されたりするよりも一人一人が得意な事をやっていくという事がもっと広がればいいと思う」
岩上
「経験を積むという事を自分が若い人に与えられるという事は思ってもいなかった。お金に換えられない新しい経験をお互いに経験するということ、自分を成長させる経験ができる。しかし今全体的に若い人がそうした事を経験する場がどんどんなくなっている状況。
さて、原発の問題。
この原発の問題は今に始まった事ではなく、ずいぶん前から政治家保坂のぶととしてもご関心をお持ちであったと思う。そこで、原発の危険性や問題を御自身が気づき、調べ始めたりして何らかの形でコミットしていったあたりのお話を」
保坂
「それはやっぱりスリーマイルの事故以来。その時に日本に緑の党を作ろうとかエイモリ―・ロビンス(*)という人が来日したりする動きが80年代にあった。
(*)エイモリ―・ロビンス~エイモリー・ロビンス(Amory Lovins) コロラド州のNPO「ロッキーマウンテン研究所」の代表。1982年に同研究所を共同設立し、エネルギー・資源問題に関する旺盛な執筆活動をしている。世界8カ国の政府、米国の20の州政府にエネルギー政策を提言してきた。膨大な著作があり、『ソフト・エネルギー・パスから永続的な平和への道』、『ブリトルパワーから現代社会の脆弱性とエネルギー』、『スモール・イズ・プロフィタブル―分散型エネルギーが生む新しい利益』などが邦訳されている。
【リンク】⇒Democracy Now!「エイモリ―・ロビンス:原子力は気候変動を悪化させる(2008/7/16)」
その時に原子力に頼らない自然エネルギーをと言われていたが発展せず、そこにチェルノブイリの事故が起こった。今度こそはという事で色んな運動が盛り上がったが、それは反原発運動や脱原発運動と呼ばれ、80年代半ばにその中から議員を送り出そうとした時に3つの政党に分かれてしまい、誰も当選しなかった。そこで失速していった。
ただ、国会議員になって原発の内部に入ってチェックをするという事は僕はだいぶやった。六ヶ所村の再処理場や浜岡原発の中にも行き、もんじゅにも。
今でも今回の福島原発の事故で悔しいのは4年前の柏崎刈羽の原発から炎が上がったというびっくりする事があった時のこと。
変電設備から火が上がったが消防設備もなかったわけだが、国会調査団として原子力資料室の方や原子炉の設計に当たってきたエンジニアも含め、8人ぐらいで3日後に行った。
その時に撮った写真には全然発表されていない映像が次々と撮れる。クレーンが折れていたなどという事は僕らが行って分かった事。その時に撮った写真をPCに取り込んでUSBメモリーにして記者に配っても翌日殆ど出ない。テレビにも殆ど出ない。
また4日後くらいにもう一回行くと新たな事が分かり、これは国民的議論になると思い、ましてや国会では特別委員会が必ず開かれると思っていたが、特別委員会どころは集中審議も一度も行われなかった。
やっぱり原子力というのはタブーで、民主党の中でも問題意識を持った議員はそういった委員会から外されている。出てくる人というのはみんな推進派」
岩上
「その当時の民主党でも党の役員を決める立場の人が差配して問題意識のある議員を出てこさせないという事なのか?」
保坂
「意図は分からないが、文部科学委員会や経産省が所管している委員会などでこの問題を徹底的にやろうと言っていたのは社民党の議員か共産党の何名かで、少数意見として扱われ、徒に不安を煽るなという事で、そこまで残念ながら深くはできなかった。出来たのは質問ぐらい。
ただ、この間東京電力が2千万配ったという事があって、それをふざけるなと言って付き返す自治体の長がいたが、その人が東京電力に行ったところ、裏口から入れと言われたそうで、その事が印象深かったので思い出した。私も同じことを言われた。
柏崎の事故の時に東電に電話をし、写真を以って多くの質問を持って私に行ったときには裏口から入れと言われた。
そして驚くべき対応でその回答は無回答だった。“私どもは皆様方にお会いしません”と。
その時の情勢としては恐らく、全体の本流になっていない野党の議員数名が原子力情報資料室の皆さん方などと行っても、こんなものは全然無視しても全く大丈夫という認識があったと思う。現に回答しないということは一切ニュースにならないし、記者会見しても書いてくれない。それはもう悔しかった」


    


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岩上
「要するに東電がそれだけ強気な態度をとれるというのは何よりそれだけ新聞テレビがバックアップし、こうした危険性を調べた非営利団体や社民党の議員や一部のフリージャーナリストが声をあげても既存メディアがバックアップして取り上げる事がなければ、世論にならない」
保坂
「写真はたくさんあるわけだからいくらでも番組を作る事が出来る。それを見せれば少なくとも柏崎の事故というものは、地震が原発に最初に衝撃を与えて、スリーマイル事故の直前までいった最初の事例。ここを教訓化する議論がジャーナリズムで一切出来なかったという事」
岩上
「このUSTをご覧の方の中にはツイッターで僕の事を少し前から知っていて前からご覧になっていた方(は同じような話が過去何度も僕のUSTを通じて見てきているのでそんなに驚くべき事でもないかもしれないが)と、ほんのここ1ヵ月突然増えた人たち、見始めたという人たちにとっては初めてメディアというものが本当に信じられないものなんだと。
新聞テレビをそのままに信じて生きてきたのだけれど、それが違うという事が何か言葉で説得されたわけでもなく、あの会見などを見ていて、生の会見と新聞テレビでの報道との落差があるかが分かった事で本当にショックを受けたという人が今更ながら凄く多く、そうした書き込みがたくさんある。
それがまさに今の原発の事故ではなく、柏崎刈羽の事故から既にそうだったという事ですね」
保坂
「そうだったし、今でもそう。あれこれ価値観を持って分析解析する前に写真を見せる事。僕らは写真をたくさん取ったがメディアが報じなかったのは東京電力を配慮したという事だろう。
TBSニュースが何日か前、独自に入手した福島原発の至近映像(*)というのが流れたが、それを見ると3号機は排気筒と繋がってないじゃないかと。プラプラと離れている。そういうことって絶対に東京電力は持っているはず。保安院も知っているはず。そうした写真を出さないで今までどうやって議論をしていたのか?議論の前提が全くなっていないのではないかと思う。こうしたイロハのイのところが出来ていない」
(*)福島第一原発敷地内映像~Youtubeより http://www.youtube.com/watch?v=DmVnta7LMhg
岩上
「そうですよね。格納容器だけじゃなくて圧力容器にも穴が開いていなかったらあそこまで放射能に汚染された水が出てこない。でも、穴が開いているという言い方は正確には確認出来ていないから言えないとか色々言葉を費やしながら東電は言うが、本当の現実を認めるべき。そこを認めたうえで対策を立てなければどんな対策も立てようがない。そういうことを明らかにしない」
保坂
「先月の26日に南相馬市に行ってきて桜井市長に会った。南相馬市から逃げた市民の皆さんが米沢市の市営体育館に500人中400何十人かいた。そこでお話を伺ってきた。その中にはやはり電力会社で働いていた人など結構詳しい方もいらっしゃった。
その話を聞いて驚いたのは、1号機の爆発が地震の翌日に起こった。その2時間前に全部情報の遮断が行われたのか、事故なのか分からないが現にネットが切れ、電話線が切れ、携帯が繋がらない事態が起こった。
そこで歩いて行くしかない状態の時、何かが起きていると身を案じ、そわそわとしていたと。そしてテレビを見たら爆発が起こっていたと。それを見て、これはヤバいということですぐに逃げたという事だった。
それはやはり、2号機、3号機が続けて爆発するんじゃないかと予想して逃げていらっしゃった。ましてや子供さんが小さいし。
東京電力が現場から本社に情報を送り、そして本社から保安院、官邸へという回路で伝わり、結局、南相馬市長もなんら情報もなくテレビを見ているわけで、連絡は官邸からも東電からもない。
少なくとも東京電力の出先のところでそうした危険性も含めた情報を周辺地域の地元自治体にも同時に知らせなければダメ。それが未だに出来ていないというのは住民本位とは到底言い難い。
情報を統制し、ある種の統治機構の体裁を整えて、ある種のコントロールをするという力学のほうがまだ強いんじゃないか」
岩上
「その情報というのは一旦上に伝わり、それが下に伝わる時、それがどれだけ伝わるかのさじ加減を決めてしまえば、住民の安全を考える事は後回しになってしまう」
保坂
「南相馬市長と話した時にも、政府のある副大臣が来られ、自分の顔を見るなり号泣されました、と仰っていた。それを見て、逆に何かあるのかなと思い、何かあるなら教えてくださいと言ったそうだ。
そして今度は唐突にチェルノブイリ級という事でレベル7に上がったが、これがどういう事なのか?
事実の後追いなのか、まだ発表していない事実の準備なのか、これだけ情報から遮断されていると何かあるぞと思ってしまう。汚染濃度が高い飯館の村長さんも政府から全然聞いていないと言う。
だから、何かが知らないところで計られていて一番最後に現場に情報が来るような状態を変えなきゃいけない」
岩上
「酷いですよね。恐らく、飯館村のような30キロ圏外のところで放射能汚染の数値が高いホットスポットになってしまっている。そこにおられる人の中でもとりわけ子供や妊産婦を考えたら大変なことだし、赤ちゃんなど避難していても子供たちに対する累積被曝量がどれほどなのかをちゃんと明らかにしていかないといけない。
そうした問題に関しても開示されていない。
また、レベル7に上げた時の唐突さに関して武藤副社長の会見、翌日の清水社長の会見に出席したが、武藤さんの会見の時は1時間で会見を切り上げようとしたので僕は怒った。戻って来いと大声で言い、他の記者たちも加勢した。そして30分後に戻ってきた。
同じ東電の建物の中に居て会見場は3階、そして清水社長はなんと2階にいてなぜ出てこないのか?どうしてここに出てこれないのか、いい加減にしろと言って、やっと翌日の会見になった。
そして、翌日の会見でも聞いたが、徹底的に言わない。何をどんな手立てでこれから対策を立てるのか。菅さんがあれだけ東電に対して示すようにと言ったにも関らず、検討している中身を言わない。
何で検討している中身を明かさないのか、僕は二つぐらい理由があると思う。
格納容器の話じゃなく、圧力容器の話に関してはどうしても明言しない。が、どう考えても圧力容器に何らかの亀裂か何かが入っていなければ放射能のダダ漏れというのは起きないわけで。
ダダ漏れが起きているという事はこれは大変な事で、いくら水を入れてメルトダウンはある程度防げても放射能を外界にどんどん撒き散らす事になってしまう、という点。
もう1点は再臨界。
再臨界の話について『再臨界の可能性があるんじゃないか?』『塩素38がなぜ検出されたのか?』『プルトニウムが検出されたという事は炉心が70%損傷していて、そのうちの一部はペレットも損傷しているからプルトニウムが出てきたんじゃないか?』と聞いても、そうした事に関してはっきり言わない。『中性子線が検出されていないから』とかいう言い方で逃れる。しかし、再臨界になっているという事に対し、絶対になっていないと言うわけでもない。
そうした不都合さがあったのか、もしくはチェルノブイリに比べてまだ10分の1しか放射能が出ていないのに、何故レベル7なんだという事からすると、確かに保坂さんの仰る通り、若干なにか言えない事があってレベル7と言わざるを得ないと。放射能がダダ漏れが続くか、この後もっと重大な事故になる可能性がある事を示唆するものなのか」
保坂
「政府としてはやはりパニックに陥ること、大混乱に陥ることは避けたいと思う事は当然だろうと思う。その情報を出す順番を考えようと。その中に広告代理店的な一種の世論操作というのが入っているような気がしてならない。
だから変な話、だんだんと慣れてくるでしょ。最初はあれ?と思ってもそのうちだんだんと慣れ、そのチェルノブイリ級というのも唐突だけど、なんか皆浮き足立っている感じでもないと。変に慣れたような感覚」
岩上
「テレビもチェルノブイリがどうのこうのと毎日言っていたら風評被害を心配すると。生産者にとっては大変に困ることだが、一消費者として放射能に汚染された食べ物を体内に取り込む危険性を考えたらそれは実害になる。
風評被害と実害、これをバランスして伝えなきゃいけないのに、いま風評被害だけで番組を作ってしまう」
保坂
「大きい余震があった時も外部電源を喪失したりしていることが他の原発でも起こった。尚且つ、地震予知連絡会の会長が5年以内に東海大震災が起こり警戒しなければならない時期に入っているのではないか、要警戒だというようなことも言っている。その震源地の中心に浜岡原発があり、本当に気が気でならないような状態。
ドイツのメルケル首相がまず80年以前の原発を止めたのだから、日本でも同様にやればいいじゃないかと。止めて点検をすればいいが、いや、何年かかけて堤防を作りますみたいな話でお茶を濁しているようなレベル。
これは海外から見たときに日本は大事故から学ぶ事が出来ない国であると。大事故についてある種の出たとこ勝負の対応だけしているが、と同時に横に見て他の安全対策を打てない国というふうに見られるリスクは非常に大きい」
岩上
「ほんとに当事者能力がないというか、当事者としての危機管理、抜本的な自己改革が出来ない。日本という国の構造的欠陥に何かあるのか?」
保坂
「僕はあの斑目原子力安全委員長の責任が大きいと思う。規制するとすれば制度的にはあそこが頑張るしかない。全く機能していないわけで、その事を居直っているような言動もある。それなら解任すればいい。新しい人事を敷けばいい。それは原子力に厳しい目で」
岩上
「内閣がやるんですよね?」
保坂
「あなた辞任しなさいと、本来であれば出来ますよ。それが出来ないわけでしょ。結局は誰も当事者じゃないみたいな事になってませんか?」
岩上
「メディアもスポンサーである東京電力、電事連に明らかに阿っている。今日もテレビに出てきたけれども、そのテレビに出ているときに『日本はひとつ。みんなで力を合わせていきましょう。日本はひとつ』という広告。
確かにみんなで頑張ろうというのは分かるけれど、日本はひとつと言っても日本は多様で、困っている人がいるし、メッセージとして少しずれているような気がする。あるいはお詫びの広告が入っていたりする。
お詫びの広告に関してはこういう事をするなら金額を明らかにしろという質問が出ても東電は『私契約だから明らかにしません』と絶対に明らかにしない。
でも、そこに来ている記者クラブの人たちはみんなそれでご飯を食べているので、そういう質問に追撃しない。フリーランスや雑誌記者だけが言う」
保坂
「柏崎の集中審議がない代わりに何があったかというと、柏崎でこんなに原発が修復されて万事に備えてますというコマーシャルの洪水。あれを見せられる」
岩上
「洗脳ですよね」
保坂
「そうして逆転が起こってくる。要するに地震で損壊したが全部制御したという事は日本の原発がいかに優秀か、あの柏崎で逆に証明されたという引っくり返された形でリークされていった。それを信じている人も結構いる。
今回、決定的だと思うのは、そういう事があって福島の事故がここまで来ていよいよ駄目だなというふうになり、専門家と言われる人たちの分析・想定が悉く外したと。テレビに出ている人たちは以前と同じ人たちが出ている。
どうしてもそういう人たちをテレビに出したいなら最初から厳しい意見で予想的中させてきた専門家もちゃんと出して議論させたり、違う見解はこうだという事を少なくとも両方から出すべきだが、片側しか出てこない」
岩上
「そうですね。片方しか出ない。バランスとらない。風評被害と実害のバランス、原発推進の専門家ばかりでなく、原発に警戒的批判的リスクを十分考慮に入れるべきという意見の専門家とのバランス。少なくとも賛否から神学論争になるというのであれば、そこの部分は置いといても、危険なところは緊急停止しよう、ということだってあると思う」
保坂
「あると思う。とにかく地震によって津波を受けないまでも、地震そのものによって重大過酷事故に陥る可能性のある原発については止めるべきだと思う。それが電力事情にどうのこうのと言っても電力の危機と福島と同じような事故による大汚染が他に出てきたらどうするんだと。もう目も当てられないし、逃げるところない」
岩上
「あの柏崎刈羽を取り上げなかった事が禍根となり、逆に推進派としてはあれが成功体験となって同じ手法・ラインが使われつつある。資本、メディア、原子力推進の学者たち、官僚、こういう巨大な利益を同じくする者たち、この人たちにも害を及ぶのは間違いないのに、その時の手法を再度使おうとしている。そうなると柏崎刈羽の話を振り返るという事がとても重要な事じゃないかなと思う。
柏崎刈羽の時に調べた資料というのは通常のメディア以外のところ、ネットや何らかの形でアップされている?」
保坂
「僕自身じゃないが一緒に行った方がまとめられて写真などは今でも見る事が出来る。ただ、問題は一部の関心のある人は見るけれども、やっぱり原子力は安全ですと流しているテレビで実はこうなっていたと写真を出し、こうだったと専門家が語るような報道がないといけない。
また、東電は言わないがNHKで見たのは福島原発には集中的な事故対応センターがあったが地震でそこのドアが開かなかったと。いくらモニターや緊急制御の司令塔があっても機能しない。そこに入れなかったのでホワイトボードを持ってきてやったと言っていた。そういうことは真っ先に明かされるべき。
しかし、上手い具合にNHKの報道もずいぶん経ってからだった。だからワーッとなっている時にはやらない。そこは情報をうまく拡散させてクールダウンさせていくというやり方をしている」
岩上
「いつもNHKというのはストレートなところの報道はしれっとした報道。他方、ETV特集的なところではずっと昔の事に関する良心的な報道。報道とはいえど、何年も昔の事で、今何かそれが決定的な影響力を持たなくなった時に出す情報だったりする」
保坂
「今でも原発の映像を見たいでしょ?写真をぜひ要求してください」
岩上
「それはもちろん。写真だけじゃなく、何よりも核種の検査に関してすごくしつこく出してくれと言っている。一番頑張っているのは僕らの仲間でNPJの日隅さんと―――」
保坂
「日隅さん良く知ってますよ」
岩上
「ああそうですか。それから木野さんというフリーの記者で、彼らは他の仕事全部飛ばして会見に食らい付いていて、日隅さんたちが一番求めるのはその核種検査の数値なのだがそれが開示されない。開示する気もない」
保坂
「柏崎の時も地震計のデータを出せと言ったら、地震計のデータがその後の余震によって全部塗り替えられたとフザケタ事を言っていた」
岩上
「・・・(笑)」
保坂
「つまり地震が起こった時に刻んでいるデータが、そのあとの余震で上塗りになって、データが全部余震のデータになっちゃったのでデータはありませんという回答だった。
そういう起きてはならないという事が起きるかもしれないと思っていて、それが現に起きてしまったという事に僕はとっても力が及ばなかったなという思いもある。メディアが駄目だったという事だけでなく、もう少しそこで頑張れなかったかなと自分自身の問い返しもある。
そこでいま、自治体行政で世田谷区長選挙に臨もうとしているわけだが、チェルノブイリ級か、それのちょっと手前の爆発や大気中の汚染、そうした災害対策的なマニュアルや方針が自治体には全くない。それは起こり得ないからという理由で」
岩上
「起こり得ないと言っているから、という事で」
保坂
「でも、もう起きてしまった。起きてしまった現在でも浜岡原発は稼働している。静岡県で大きな地震が起きた何秒かすぐ後に浜岡原発異常なしと画面上にスーパーが出た。
本当に危ないという時にそこで何がどう出来るのかという事になるとこれだけの大きな自治体の東京でどんな対策が打てるのか極めて難しいと思う。
でも打てるのか打てないのかをちゃんと検証してみて、打てないのであればちゃんと危険から住民を守るという責任が自治体の長にはある。だからそういう事をしっかり声をあげていこうと思う」
岩上
「衆議院議員をおやりになり、参議院に挑戦し、そして今後世田谷区長選に出られるのは何故なのか、心境の変化をお聞きしたいのと、今回の原発事故を見て、足を運び、色々と考えられたとお聞きしているが、そのことと関係があるのか、その辺りを」
保坂
「やっぱり南相馬市に行って話を聞き見て歩き、津波の被害を受けていない30キロ圏内の地域も見て歩き、屋内待避され多くの人が逃れ、その人たちの話を聞いてみたが、こうした事をやっているのは全て自治体。
それと前回、杉並区の選挙で一生懸命応援してくれた田中良という去年都議会議員だった方が今杉並区長になっている。
杉並区は南相馬市と災害時には互いに助け合おうという協定を結んでいた。その中で実際にトラックを出したりバスを手配したり一生懸命に初動早く動いていた。その時に問題だったのはバスやトラックがあの30キロ圏内を超えて入れるか。そこを一緒に官邸に掛け合ったりなど国会議員を通して福島県と連絡をとったりして、バスや物資が30キロ圏内に堂々と入る事ができて、それから少し良くなった。彼自身も灯油缶とかを積んで行った」
岩上
「そうですね、杉並区はかなり早くにバスを出したりして行きましたね」
保坂
「今日も僕の応援に来てくれたりして、実はいま南相馬市が解体の危機にあるんじゃないかと彼は考えている。30か所ぐらいに分散して避難した事でこれが拡大するかという懸念がある。しかし、それはちゃんと国に財政措置を求める時にやるべきだという事で5人の職員を南相馬市に救援として出しているようだ。
そういう事で東京の自治体でもかなり一生懸命やっている。実際に避難してきた人たちを区で預かっている。これがいよいよ伸びれば、杉並区のアパートの家賃を半年持ちましょうという事をやったりなど色々取り組んでいる。
かたや世田谷区は避難所を開設したぐらいでほとんど何もやっていない。避難所にあったのは御座と毛布だけ。と同時に国会の状況もある。政府の中に入っていない国会議員になかなか情報が入ってこないし、何かするにしても具体的な取っ掛かりが作りにくいようだ。
原発の問題、東京電力の問題もある。そこで色々な人生計画もあり夢も愛着もあったその場所を離れ、どこでどうすればいいのかという人たちがこれだけ出てきたという事に対して、みんなちゃんと知恵を出そうという事で動いていける自治体は仕事の出来る場所だという認識に変わった」
岩上
「これだけずっと政治家として色んな事に携わり、ジャーナリストとしての豊富な経験を持つ保坂さんの認識が変わったというのは相当大きな経験だったのでは?」
保坂
「それは二つの意味があって、僕は仙台の生まれなのでこの災害の大きさ、東北中があんなふうになってしまったということでみんな人生の予定があったが一瞬にして変わってしまったという事。僕にも色んな予定はあったがそんなこと言ってられないという思いがひとつ。
それから、本当に手を差し伸べなければ、あるいは知恵を出さなければ、このままいくと駄目になる、変な事になるという思い。上から変に締め付ける時代が来たり言論の自由も危ない。なので、ここでしっかりと民主主義のルールの中で自治体も含め区民の含め、こういう事が出来たらいいねという事を率先して出来たらいいなと。
やってくださいと言う人が目の前に来たからそういうふうに思ったのだけれども、言われたからやるという軽いものではなく、国政に2度も落ちてまた何やるのかと言う人もいるが、直感的にこれはやるべきだと思ってやる気になった」
岩上
「逆に基礎自治体が実際には仕事をしているし、基礎自治体が奪われてしまっている情報や権限をもう一回取り戻す事で基礎自治体自らが上と繋がるという事ではなく横同士で繋がり、被災している自治体と被災していない自治体がうまく繋がれば非常に良い交流と支援になるんじゃないかと思う。
実際に動いているNPOやNGOも生まれているようだけれども、そうした基礎自治体の充実こそが民主主義の基礎だなと今更ながらお感じになったという事なんですね」
保坂
「そうですね。今まではやっぱり中央の国政の事に意識が集中していた。口では緊急の災害という事は言っていたが実際起きてみると全然違った感じ方だった。日本が経験する久し振りのピンチ、そういう時に精神論で『がんばろう』とか『きっとやれる』じゃなく、具体的にやろうという事を進めたい。もちろん頑張ろうは言っていいのだけれど」
岩上
「仰る通り、頑張ろうも言っていいけど具体的じゃないとしょうがない」
保坂
「フリージャーナリストでも政治家でもある僕のツイッターに事故1週間ぐらいの間に様々な情報や提案、相談などが寄せられた。そのなかに140人が入れる社宅が空いた→区長とも話をつけた→何とか繋げてくれ、といったような話を杉並区に持って行ったりした。
そういうふうに多分もう少しそれぞれの基礎自治体が互いに競うように音頭を取っていけば、仕事、子供の学校の進学の事、色んな自治体の業務なので、とりあえず避難所とかいうのではなく、ちゃんと暮らしが保てるような場所を1日も早く確保する、そうした機運を高めていきたい」
岩上
「他方で、支援物資が沢山あり、大きな避難所には物はある。ところが少人数で別れて避難している人たちのところには届いていない。そうした分配のネットワーク、手だてが足りない。
早稲田大学講師の西條さんと宮城県出身の方が居てもたってもいられなく、考案した分配ネットワークシステムを現地の役人に使ってくれと言ったが、『鉛筆1本欲しいというところに2本来たらどうするんですか?』という理屈で断られたという話を聞いた。
つまり、実際に人手が足りないのでしょうが、量が倍になってしまうからという理屈にならないような事を言って断る。
こうした現実が自治体の長としてなった場合、マネージメントを実際に行う業務が変わるでしょうか?」
保坂
「変わると思いますね。実際に被災したところの自治体事務のベテランクラスに人手が足りないし亡くなられた方も多い。ということであれば、例えば区なら区からもっともっと応援してもらうという事が必要でしょう。
それはなにも現地に行く事だけがボランティアじゃなくて、現地から避難されてきた方や住まいを探している菅に子供の面倒を見るなど様々な事があり、そういうところをサポートするという事も大変な役割を担っていると思う。
そういう事でもいいし、例えば区の職員がある程度、実務をやりに被災地に行き、その空いた穴を市民のボランティアが埋めるというのも一つの形。
それとやっぱり国が現地で総合対策本部的な情報集約点を持ってなきゃ駄目でしょうね」
岩上
「ないんですよね」
保坂
「だからいま全部東京ですよね。確かに東京でこれだけ情報も早いかもしれないが、やはり分からないところは分からない。行って話が出来ないところで遠隔操作は無理がある。どこで何が足りないのかということの情報を総合化。東京は余りに省庁間交渉が多く、話し合っている間に日が暮れる。
ふじ丸という商船三井の船が行ったというのを見て良かったと思ったがその船が出航準備完了したのは2週間ぐらい前の事。そうした事がじれったい。中央の官邸が全部指示するなんて事は出来ない。
だから原発対応とは別に震災のところの対応は現地にも作って、色んな法律で縛られて動けないのであれば俺が責任持つという政治家がいて仕切ってほしい。これからでもそうした事が必要でそうしないといけない」
岩上
「原発、或いは震災を見据えたうえで基礎自治体に目を向けられ、基礎自治体を見直そうというところをお聞きしたい。世田谷区長になられたらどういうふうにしようと思われているのか?話せる範囲で」
保坂
「ビジョンを語るのは問題ないのでお話しますけど、原発事故そのものを抑制したり収束させるのはごく限られたところでやっているのでなるべく情報開示する事をしてほしいと言っているが、文明史的に言えば、この事態から僕ら、あるいは世界の人々がどう学ぶかという事が問われていると思っている。
原子力に代わる新しいエネルギーをもっと可及的速やかに開発すべき。もちろん、世田谷区が開発の当事者ではない。
だけど民意というものをもっと発露する自治体があっていいと思う。恐らく多くの人たちの気持ちはそうだと思う。消極的原発推進の人、しょうがないと思っている人も早くそういうものがあればそれがいいに決まっている。
だけどちゃんとそこに先頭切ってシフトすると、そういう役割をしたいと思っている」
岩上
「世田谷区長になられるという事はローカルなエリアのとても実務的な長になるという事と、その文明史的な話をちょっと繋がりにくいのですが」
保坂
「区政というものが過去の継続できているものが今もそうで、政治そのものが新しいエネルギーへの転換をしっかりと打ち出すべきだと思っているがなかなかそういうふうになっていかない。では、そうなったときにどうしようもないのかというと決してそういうふうには思っていない。
自治体の中でとても関心が強く、そして日本全体や世界全体が注目するような、人間が生き抜いていくための知恵を出そうという事なので、お金がなくても人脈やスペースや大学や研究者とのネットワークで以って新しいものを生み出していこうという意志だけは掲げていく。それを街づくりの中に活かしていくような個性を出していきたい。
それと、災害対策を見ていて思う事は、中央集権というものが凄く弱い。
世田谷区は人口が88万人近くいる。そこに5つのエリアがあって支所がある。そこを細分化した27出張所。そういう単位で常々色んな問題に対し常時会って相談している関係を作りたい。
そういう関係を常々築いていれば、中央の役所がダウンしても生きていけるのではないか。でもヒエラルキーだと一緒にダウンしてしまう」
岩上
「なるほど。極端なこと言うと、東京で何か起こって世田谷区が何か大きな災害に見舞われたとしてもヒエラルキーではなく、各支所や出張所単位でどうコミュニティが機能して生き残るようにするかと」
保坂
「それは生き残るための仕組み、災害の為だけではなく、その方が良い街になるという事。自分たちが参加して、参加した事が活きる。
逆に色々な開発問題があるけれども、大きな高速道路を通したり大きなビルを建てたりするための防災開発という視点から街の細かなところから意思形成できるような仕組みを作りたいと思う」
岩上
「もう少しその文明史的なところと細かな自治体の仕組みの話との繋がりを。別のものなのか、それともどこかで収斂していくのか?」
保坂
「例えば、ビキニ岩礁での原水爆実験の被害を受けた事から原水爆禁止の庶民運動の発端となったのが杉並であり、次に中心になったのが世田谷なんですね。遥か前の話ではあるがそれが世界に広がった。だから本来、一エリアというものはそういう力を持っているはず。
いま、言っている文明史的なという事の意味は、“もうしょうがない”と言って考えるのを止めるのではなく、福島のこの震災や原発事故がこれだけ教えてくれている。柏崎だって教えてくれたわけだが、だけど私たちは変わらなかった。世界中が福島第一を見ているが、日本はどうも変わっていない。少なくともここから学んで再スタートしたいと思っている人たちはかなりいるはず。
そういう人たちにちゃんとメッセージを送り、もちろん世田谷の人たちだけでなく、そうした社会意識を変える事をしたい。そのために暮らしや電力危機に対する対応なども含めたみんなとの取り組み。
また、安全とかいうのであれば放射能汚染にちゃんと対応出来るのかどうか。出来る訳ないと思うし、出来ないのなら、今までの人たちは出来ないと知っていて事故は起こらないと誤った前提に立っていた。
知っていてそのまま行政を運営するのは実に無責任だと思う。だからそこのところ丁寧に話をしていくが、国や財界の内側から気づくということは難しい。しかし、人々は気づいているしそれを求めていると思う。だから、そこを転換する梃子の役割をしたいなと思っている」
岩上
「国と区、その中間に都がある。都の問題として築地市場の豊洲移転問題がある。これまで石原さんの論法は地震が来たら築地は危ないという事だった。実際は築地というところはとっても地盤が安定していた」
保坂
「無傷でしたね」
岩上
「全く揺るぎもしなかった。他方、豊洲は90数か所も液状化してしまった」
保坂
「なんか後でビニールシートをかけていたりした」
岩上
「この間も見に行ってきたが、いま水は乾いて砂が一杯浮き上がっている。その砂は相当深い層から出てくる砂。これまで都が言ってきた事が本当に覆されてしまう」
保坂
「土壌の入れ替えという事を言っていた」
岩上
「仮に土壌を入れ替えても下から噴き上がってきたらやはり上にどんなに土を盛っても再汚染されてしまう。こうした事が明らかになってもメディアは全く黙殺するような形」
保坂
「あれは盛り上がらなかったんじゃなくて盛り上げなかった。石原知事が公務中といっていつも役所に来ていない方が連日公務に勤しんでいるかのような演出をメディアがしていたが、ちゃんと議論をする場を設定すればいいと思う。石原知事が答えないところもはっきりさせればとよかったと思うが、やはり築地市場の問題は原発と同じだと思う。
結局、築地が無くなった方が儲かるんだと。あそこは超一級の土地じゃないですか。そこに開発のプロジェクトを入れておいしいと思う人たちの欲望がどんどん肥大化して、何があってもそれをやるんだという事に。民主党は野党全体で過半数を取っていたはずでこれが僅か一人の差で引っくり返ってしまった。
そしてこの事をなんら議題にせず都知事選が行われ、結果、私たち、そしてこれまでの民主党が指摘していた通りになった。築地移転はかえって危ないと。そうした事の一つ一つが見えているのに報道されないので、テレビとか新聞だけしか見ない人たちにとっては見えてこない」
岩上
「なんとかこの事は伝え続けたいという事でフリーの記者たちで作った自由報道協会というのを作って石原さんを呼んだ。
その時、築地の問題を聞いて、石原さんはこの事は再調査をすると一応言質を取ったが、こういう事でも他の記者は質問しないし、メディアはもちろん伝えない。
しかし今回夕刊フジが豊洲で有機化合物じゃなく、放射性の物質があると書いていた。なんと放射能が高いと。まだその記事の信憑性は調べてないので分からないが、そうした事が現実にあり得るとしたら徹底的な調査をして頂かないといけない。
ここで扱われた魚は都民だけじゃなく首都圏や全国に渡る。こうした災害時に食料の供給基地になった時、ぐちゃぐちゃになってしまったらどうするんだという事や汚染されてしまったらどうするんだという事を何重にも考えなければならない。こういう事というのは都が推進していく方向の中で区が反発していくことは出来るのか?」
保坂
「出来るんじゃない?石原さんが常々言ってきた事というのは、国がやらないから東京都がやると。東京都が駄目だから世田谷区が言うということは十分言える。
いままで、特に23区というのは都の絶対的権限の下にあり制約されていた。が、健康や安全の問題に関しては責任を問われる立場。だから築地市場の問題もしっかりものを言っていく自治体が東京の中に必要だと思う」
岩上
「今回、そういう意味で東京都民が出した答えというのは健康という面で考えると落胆する結果だったと思うが、諦めずに区が都にものを言っていき、石原さんであっても変えていく力になりえる事を考えると今後の区の力は非常に重要かも知れない」
保坂
「そういう事をしたい。多くの人が築地の問題を考え、議論を深めていけばこの計画がおかしいという事になり他の利権があるんじゃないかという事も言われ、それが都知事選の大きな争点になるはずがメディアがその事を扱わない事もあり少し忘れられている。
ただ、結果、液状化したわけなので正面から問えば、特に区民の食品に関する問題なのでその事を言い続けることは出来る。これまではそれをやってこなかった。これまで石原さんは何度も色んな失敗があってもあのスタイルで結局人気があったという事なので、この時期、しっかりと真剣にものを言ってそこは絶対に譲らないようにしていくことは大事だと思う」
岩上
「もう一点。川崎市長が福島県内での放射性物質を含んだがれきを川崎で引き取って処分するという問題。福島を助けてあげたいという思いと川崎市民の健康被害の懸念という非常に難しい判断を、基礎自治体の問題としてみた場合、世田谷区でこうした事が起こったらどういうふうにすればいいと思うか?」
保坂
「食品や水の暫定基準があるが、がれきなども含めたそうしたものの日常的な客観的なデータというのがまだ不足しているように思う。引き受ける方の地元の住民にしてみれば不安に思うだろうし、他方、助けたいという気持ち自体はいいと思う。まずは人を助けてほしいですね」
岩上
「あ、確かに。人を助けなきゃいけないですね」
保坂
「がれきというには産廃という仕事の話も付いてくる。そことの関係がどうなのか、川崎の情報を知らないので何とも言えないが、まず人を助けて、と思う」
岩上
「情報というものがいかに大切という事は保坂さん自身が身を以ってこれまで十分に理解されていると思うが、区長になられたら、情報の受信と発信を市民メディアのようなものを使ってやっていく、或いは市民メディアを区民に対して開く。
あるいは区民だけじゃなくその境界を越えて交流していくことも含め、何かしらの市民に根差したメディアの振興みたいな事を考えているか?情報の発信受信という意味で」
保坂
「世田谷にコミュニティFMというのもあるし、今日やっているようなUSTを通して、出来得れば世田谷区民全員と開きたいがそれが難しいのであれば、身近な行政府としてのテーマごとに何人かの人たちとUSTでは穴氏、質問をツイッターで受け付けるような双方向な情報の開示や、公共事業も含めた税金を使っている細かなところの細目に全部アクセスできるようにしたい。ここをちゃんとやっておけば悪い事も出来ない。
ひと握りの人たちが裏で話をして全部決まった話にして押しつけていくというやり方は再開発などの手法で今でもある。これを防止するにはやっぱり情報公開しかないと思う。
情報公開しない市民の参加は非常に空疎な話になってしまうので、前提となる金額明細まで出したうえで皆に参加をしてもらう事が出来るスタイルになればいい。その時にこうしたUSTがとてもいいツールになると思う」
岩上
「行政体が主体となってやるのか、区民が中心になってやるのか、その辺は?」
保坂
「私がやってもいいし、それぞれの担当者がやるとか議員がやるとか色々な機会を多方面に作ったらいいと思う。でも今のところ世田谷区議会は中継もされてないらしい」
岩上
「そうですか。ではまずそこからですね」
保坂
「ええ。議会で何をやっているのか。居眠りしているのか。そういう事もちゃんと見張る必要があると思うし、国会もちゃんとインターネットで見れるようになってきたのでずいぶん変わってきた。
20年ぐらい前は国会の会議録というのも普通の人はもらえなった。それがだんだんと変わってきてついにカメラが入るようになり、今度はカメラがインターネットに繋がって誰もが見れるようにあるというふうに変わってきたのだけれど、地方議会というのは凄く遅れている。賛成か反対か全部秘密とかそういう世界だったりするところがある。そこはやはり衆人の監視に晒す事によって腐敗や怠慢を免れるということが大事ですよね」
岩上
「鹿児島の阿久根元市長なんかも相当苦闘されているが、小さな自治体の地方議会でもかなり高額な報酬をもらい、住民からある意味遊離した怠慢な行政をやっているという批判もあるが、メスを入れないといけない時に議会などでそうした抵抗を目の当たりにした場合、どのようにしていくのか?」
保坂
「まず、区長自身が4年間やると退職金が2500万円。これは言わないでもし通っていれば貰えるという話になるが、これはまず止めます。それは僕個人だけがいらないという事ではなく、そういう制度自体をなくしたらいい。だって、4年間で2500万円なんておかしいからね」
岩上
「そうですね。ずいぶんうまい話ですよね」
保坂
「だからそうしたうま味があるから他の人たちの事を言えないわけでしょ。だから自ら返上して情報公開していくと。そうするとその報酬が適正であるのか、そうでないのかという議論が起きてくる」
岩上
「じゃあ、議員や職員の報酬なんかもそういうのも公開していくのか?」
保坂
「それは調べようと思えば調べられると思うけど。税金の使い道を開示するという事なので、それだけ秘密というのはおかしいが、僕は最初から議会の人たちや職員の人たちとケンカ腰でやるつもりはありません。継続ということも大事なので引き継いでいくことも多いと思う。最初から全部変えるという事も考えていない。
だけれども、これだけの大惨事があってなんにも学ばないのか?一緒にやりましょうよというのが僕のスタートライン。それで出馬を決めた。もしそれでうまく支持を得てそういう事が出来る状態になったら、どんな意見7や協力が得られるのか、そして協力出来やすいような努力を僕の方もする必要がある。
しかし、そういう必要がないという意見が強いのかどうかはやってみないと分からない。多くの人が望んでいる事だと思うので、きっとそういう事を否定できないんじゃないかと思うけれど」
岩上
「分かりました。大変いいお話が伺えたと思います。まだまだ色々なお話を伺いたいところですが。保坂さんが見事当選して世田谷区長になるかどうか別として、保坂さんという一人のジャーナリストの先輩として、また政治家でもあり、色々なことを考えながら逡巡しながらこの原発、震災がついに来てしまったと。
この大事故を自分の事として捉えて、自分の人生の予定が変わってしまうのは当たり前だろうと。多くの被災者の人たちの人生の予定も変わった。国の予定も変わった。この原発を推進していく側の人たちにも予定があっただろうし、彼らは彼らなりの予定がきっとありそれも変わった。変わってもらわなくちゃ困る。あるいは日本の進路も変わる」
保坂
「変わる以上、良い方向にしたいですよね」
岩上
「そうですね。変わらざるを得ないんだったら良い方向に変えていかなくちゃいけない。そういう真剣な模索と対話を始めなくちゃいけないような気がします。今日はどうもありがとうございました」
保坂
「ありがとうございました」
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