Sekilala&Zowie

No one is free, even the birds are chained to the sky.


あの田崎史郎も認めた⇒【菅首相にとどめを刺す寸前だった小沢一郎の「人間力」 総理にない求心力がなぜこの男にはあるのか】(現代ビジネスより)



政局だけで云々することは正直うんざりしている。
何度も繰り返し言うが、マスメディアは事の重要性を無視し、矮小化に努め、ひいては己の記者クラブ制度廃止、もしくはクロスオーナーシップ制度の禁止の流れへの恐怖心と既得利権の構造の温存の為、必死に世論を操作し、敵を追い落とそうと世論調査という殆ど得体のしれない数字を並べ、国民の代弁者を偽装し、さも世論の声がそうであるかのように風を吹かせ、自らはその陰に隠れる姿は卑怯そのもの、ジャイアンの陰に隠れるスネ夫にも悖るクズの極みである。

驚くことにその風は政治家にも動揺を与える。その理由は簡単だ。議会制民主主義の根本である「選挙で選ばれし国民の代表」であることを重々承知しているからであり、政治家の肝をギュッと握り締める役割をメディアは己の私念で、もしくは政敵の意向を組み、利権が温存される方へ条件を整え、一斉に艦砲射撃を始める。

民主党が政権与党になる前後より、より露骨にそれが行われてきた。
しかし、そのあざとい手法はこれまで情報を独占してきた記者クラブマスコミの旧態依然とした体制維持が時代と共に追いつかないことを露呈するものでもあった。

それがエジプト革命などに象徴されるツイッターやフェイスブックなどによる情報革命と呼ばれているもので、その国の情報統制が崩壊し、その情報そのものは一体誰のものか?という本質を表した側面を持つ衝撃的な出来事でもあった。
その結果としての混乱と混迷、米国という覇権国家の介在など、未だ先行きの不透明な政治情勢ではあるものの、エジプト人である芸能人のフィフィなどのブログでは主権在民の信念が滔々と市民目線で書かれていた。

要するに、日本でも暴動にならないまでも、その序章が始まっている。
全国各地で脱原発デモが行われ、その前にも検察の横暴を許さないデモや小沢一郎氏に対する不透明な検察審査会に対する抗議デモなどは行われて来た。

さらにはマスメディアに散りばめられた御用学者による「安全デマ」拡散の抑止にネット情報が即反応し、正しい情報に軌道修正が行われ、同時に電力関係のバイアスのかかっていない正しい見識をお持ちの正論を語られる学者や専門家の方たちも岩上さんのUSTを通じて情報が拡散され、どうにもならなくなったマスメディアが今頃になってその方たちにオファーを出し、追随したことは記憶に新しい。

このように既存のマスコミやメディアはどう考えても自らの過ちを訂正することなく総括も反省も謝罪もなく、ソロソロと方向転換し始め、もしくは風を読み、一時だけの世論の反発に対するガス抜きのような姿勢を見せているのだが、こと政局に絡むと一気にその本性を再び出し始め世論を誘導しようとしている。

決して、彼らは国民の見方ではない。官僚と同じ思考回路で自己保身のために国民を隠れ蓑にして世論を自分たちの都合のいい方向へ誘導しようとしている。

しかし、もし仮にそうなった時、彼らは気づくかもしれない。この国をTPPというモノが巣食うときに自分たちもその対象の範疇なのだということが現実に起こるのだ。

外資によるメディア買収が行われ、あっという間にリストラされていく。その時に、あれは間違っていたと言っても、もう遅い。労働市場は今でさえ、安価な下請けへと圧がかかり、業界でも経費削減の折、系列下請けにばかりそのしわ寄せが行われ、どうしようもない安易な番組作りに転換しているというのに、TPPによって一気に起こることは、親会社であるマスメディアそのものが外資の大波に飲み込まれるという事態が想定されるTPP に規制の自由化が本丸として盛り込まれている。

それは局の社員であろうともADやディレクターやアナウンサーまでもが市場原理の荒波に飲み込まれることを意味する。有能な人材でより安い単価への移行は規制がない分、激化が予想される。

自らが恣意的に保身のため誘導した結果として背中から撃たれるハメになる、とは岩上さんの弁。
しかし、そうした方向へ持って行こうとする連中は誰か?どの世代か?といえば、将来に何の責任も持たない団塊の世代を越えた旧自民党政権時代に美味いメシを食った残党の老いぼれ連中が適当な事無責任な放言し放題で、若い世代の未来が潰れても、その頃は俺たちはこの世にいないのだから、と勝手なことをほざいているにすぎない。

昨晩のテレ朝の「TVタックル」の三宅が象徴的だった。
自分の知識が時代に追い付いていないことをモロに生放送で露呈してしまったのだ。
これまで原発神話の中で言われてきたでたらめなイカサマ情報を三宅は得意満遍な顔で披露し、即その場で飯田氏に「事実は違う、現実を見てくれ」と否定された。それは生放送のいいところ。
飯田さんは以前、朝生に出演した際のおとなしかった反省を踏まえ、前へ出るように頑張っておられたと拝見した。
そうして日々更新される隠されてきた真実がネットによる情報革命によって、そのいつまでも古くさいカセットテープに吹きこまれたような情報をあたかも今でも通用するように電波という公共物で吹聴する三宅は国民にとってマイナスであり害悪でしかない。
ある意味では昨晩のTVタックル生放送は一定の役割を果たしたと言えるが所詮バラエティにすぎない。
テレビ局は生放送は怖くてできないのが現状だ。
テレ朝は朝生で悪い意味で経験を積んでいる。政治的に、そしてメディアにとってあば枯れてはならないパンドラの箱が開きそうになると、強引にCM送りにする。
その手法を踏まえた上での昨晩の生放送だっただろう。

しかしネットは違う。USTなどで流れる映像にそうしたバイアスは比較的掛からない。(全くないとは言えない)
しかし、ある情報を切り貼りすることなく、ダダ漏れで流れる情報はテレビ新聞などの記者クラブの情報独占にとっては脅威であり、それこそが真実に近づく一番の近道であり、そこにこそ真実が隠されていると言っていい。

長くなったが、何が言いたいかというと、これまで田崎史郎という男の心情は、まさに小沢一郎憎し、私怨として敵対的な姿勢で逆にそれ故、政治を見るときの中心が小沢一郎だった(実際、政界はそうだった)のだが、そうした歪んだ批判姿勢の持ち主までもが、小沢一郎という「人間力」を認めてしまったという事実。
それは仮に彼が冷静でなくても現実として彼の目の前で繰り広げられた事実を見れば上記、当然の寄稿文になるということ。いくら他の記者たちが見ないふりや片目瞑ろうともその事実からは免れられない。
そしてこれまで記者としては政局でしかメシを食ってこなかった狭隘な見識しかなかったとしても、真実は私怨のような憎しみすら凌駕する、ということなのではないか。

いい忘れたが、田崎が連呼する「小沢切り」はそれイコールアメリカのハンドラーたちの要望なのだ、ということが根幹にあるということを前提にしなければならない。小沢氏本人の弁からして決して反米ではないにしろ、利権マフィアにとって小沢一郎は目の上のたんこぶみたいな存在。自分たちの都合のいい用にならないからであり、逆に親米・属米の政権は重宝されるし、そうされてきた歴史的事実がある。よって田崎が心変わりしたという意味で拙ブログでとり上げたのではなく、そうした偏向した見方をすることしかできない記者でも認めざるをえない事実がそこにあるということが言いたかったわけだ。それがいわゆる「人間力」であると見抜いたところは正しいと思う。

現在、官僚、ひいては米国の息のかかった各局の政治部、もしくは自民党来の論説委員、評論家(似非)たちはまだそうした脱却は見せておらず、相変わらず「小沢はこれでおしまい」という妄言と印象操作を展開している。
そうしなければ、彼らは自らの食いぶちを失うのではないかという恐怖心と、米国との関係において旧来の植民地・属国からの自立を唱える小沢一郎氏を押さえる事でメディアが統一して一定の役割を果たし、対米隷属を維持しようとすることで親玉の米国に擦り寄るイヌ。

つまりはマスコミやメディアにとってそもそも国民は蚊帳の外であり、大切なのはスポンサー様であり、大企業様であり、そのための官僚様であり、アメリカ様なのだということをここで今一度再認識しなければならないといえよう。

彼ら全員の共通認識の根底にあるのは「国民の富を遍く須く吸い上げ、一部の特権層だけでその利権構造を温存したまま、我々だけが得をしようじゃないか、手を結ぼうじゃないか」という一致した中での集合体、または連合体なのである。

過去に何度か勉強させていただいたが、トリクルダウン政策が国民生活を良くするなど幻想妄想であり、それは歴史が証明している。
さらにパックス・アメリカーナ、行き過ぎた市場原理主義は人間社会を崩壊、社会構造を破壊させることは世界的な経済学者宇沢先生の全てではないにせよ、知ることができた(己の不勉強ゆえ爪の垢を煎じて飲まさせていただいた)。

現在、日本社会は収束を見ない原発事故を抱えながら、正念場に来ている。
「増税」「TPP」「原発」「普天間」などのような重要案件の全てが岐路に立っている。
僕らはそうした利権構造から脱却して欲しいと願い、政権交代を支持したはず。
そうした利権構造から脱却しようとする原点に戻ろうとするなら、09年マニフェストを支持している議員を応援しなければならない。
そして、加えて言うなら「原発」問題、ひいては日本のエネルギー問題の未来をごまかされずに議員に問い詰めていかなければならない。
小沢一郎氏は公式には発言していないがアエラによると川内議員にこれまでのような「過渡的なエネルギー」ではなく明確に「脱原発」を口にしたと言われる。

自民党では河野太郎氏が「脱核燃サイクル」であり、これは要するに脱原発に等しい。
しかし昨日の石原伸晃氏の発言は「ごまかし」「騙し」のあやふやに終始し、結局、原子力維持という言葉は現状の空気感から言えないまでも、「全体として世の中の流れで(脱原発の方向へ)そうならざるをえないという気がする」と評論家バリの世の中任せな無責任発言=本音では原子力推進、で自民党の姿勢が露呈したばかり。

そこを手を組もうとする今の菅民主党B、そして大連立大合唱。
記者クラブ大手新聞マスメディアはあまりにも国民を愚弄している。
おとなしい国民性で真摯に被災した悲劇と向き合う、などと海外からの賞賛に甘えてはいけない。
怒るとき、もうこれ以上我慢ならないときはそれを各々の表現方法で表現していかなければ、またしても隠蔽されてしまうのではないか。

いつまでも見ないふりはできない。そういうところまで日本国民は確実に追い込まれているのではないだろうか。

その元凶は、まずは記者クラブ大手新聞マスメディアであり、その証拠に歴史的に見れば、クーデターや戦争になればまずその国の情報機関を狙うのが常套手段であることからもその役割の重要性は十分証明できるであろう。



    


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菅首相にとどめを刺す寸前だった小沢一郎の「人間力」
総理にない求心力がなぜこの男にはあるのか
田崎史郎「ニュースの深層」http://gendai.ismedia.jp/category/news_tasaki

 民主党首脳部もわたしたちも、民主党元代表・小沢一郎のパワーを小さく見過ぎているのではなかろうか。今回の「内閣不信任案政局」を見ていて、そう思った。

 たしかに、最後は前首相・鳩山由紀夫にはしごを外されたために、内閣不信任決議案可決に至らず、首相・菅直人にとどめを刺すことはできなかった。しかし、民主党内で造反組が小沢グループを中心にして可決に必要な80人前後に積み上がってくると予測した人はどれくらいいただろうか? なぜ、小沢の意向でこれだけの衆院議員が動くのだろうか?

 小沢の動きは分かりづらい。しかし、こと政局のことに関して、彼はウソをつかない。彼の発する言葉を注意深く観察していれば、どんな行動を取るか、おおよその察しはつく。

 小沢は本気だと思ったのは、統一地方選前半戦が終了した直後の4月13日に、小沢が発表した短い「見解」だった。

「地震、津波による被災者の方々への対応は遅々として進んでいません。また、福島第1原発の初動対応の遅れをはじめ、菅直人首相自身のリーダーシップの見えないままの無責任な内閣の対応は、今後、さらなる災禍を招きかねない状況となっています」

 この見解で、小沢は菅政権が続くことが「さらなる災禍を招く」と表明した。明らかな菅政権打倒宣言である。その3日後、小沢はインターネット番組に出演し、「最近の心境としては、自分自身のことや民主党政権うんぬんのレベルではない。このままだと大変だと分かっていながら傍観しているのは、歴史の批判に堪えられない」と語った。

 この段階で、菅を支える人たちはその異常に気付き、対策を打たなければならない。小沢は、民主党結束へのこだわりを喪失し、ここで動かないことは「歴史の批判に堪えられない」とまで語ったのだから。

 しかし、鳩山が小沢に4月29日、倒閣回避を要請し、小沢が「連休中に熟慮する」と答えたことが政権側の楽観論に拍車を掛けた。

 小沢が連休中の5月5日、千葉県一宮町で地元の漁業関係者との懇談で「今までは我慢してきたが、これからは行動する」と決意表明していたにもかかわらず、だ。

 菅政権側が対策を打ち始めたのは、自民、公明両党が内閣不信任案の早期提出に向けて調整を開始した5月23日以降のことだ。それでも同25日夜、党執行部の1人に情勢を聞くと、楽観的だった。

「不信任案に賛成するのは30人以下と思っている。会派離脱申請組の16人を含めてそれぐらいだ。あと欠席組がちょぼちょぼ。読みが甘かったにしても、40人ぐらいだろう。署名はそんなにあつまっていない。署名しているのはせいぜい50人程度。このうち、署名しただけで賛成はしない、という人がいる」


「小沢切り」に失敗した執行部

 この1週間後には造反組は執行部が想定した倍に膨れあがっていた。これを目の当たりにした自民党幹部は「小沢はすごい。何の権力も持っていないのに、首相を辞めさせる寸前にまで追い込んだのだから」と語った。

 しかし、小沢と敵対する政権側には、小沢の力をできるだけ低く見ようという思いが強い。敵の戦力を見誤ることは敗北につながる。小沢の力を過小評価することは昨年夏の民主党代表選当時と同じであり、菅らは何度も失敗しているのにまた同じ失敗を繰り返している。

 小沢の力の淵源を解説するのに、「選挙とカネ」と説明すると分かりやすいが、それで分かった気になるのは、少し違うのではないかと思う。現在の小沢は、民主党内で蚊帳の外に置かれ、選挙の面倒を見られるわけでも、金をまけるわけでもない。前回の総選挙で世話になったといっても、それは代表選での投票で十分に返している。

 政治家には、人に仕えるタイプと、ポストに仕えるタイプがいる。菅の周りにいる人たちはほとんど、その役職に就いているから菅を支えるというポストに仕えるタイプだ。これに対し、小沢の周りにいる人たちは小沢に惚れ込み、仕えている。

 その求心力をもたらしているのはおそらく小沢の「人間力」だ。菅の人間力はないに等しいが、小沢には十分にあると見なければ、この政局における議員の動きを理解することができないのではないか。

 それにうすうす気付いているからこそ、幹事長・岡田克也ら執行部側は、小沢が本会議を欠席したことを理由にして、除籍(除名)処分に踏み切ろうとした。しかし、参院議員会長・輿石東の反発に遭って失敗に終わった。言い換えると、「小沢切り」に失敗した。

 それでも、執行部側は「小沢の力は落ちていくから心配ない」と言う。そんな甘いことを言っていると、次の政局でふたたび肝を冷やすことになるのではないか。
(敬称略)

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