Sekilala&Zowie

No one is free, even the birds are chained to the sky.


《前半》2011/08/10(水)参議院2010年初当選組有志一同が主催する『小沢一郎勉強会「政権交代で目指したことは何だったのか」』*文字起こし全文《前半》

まず朝日のこの記事を読んでいただきたい。

小沢氏、マニフェスト見直し容認を示唆
朝日新聞 2011年8月10日23時10分http://www.asahi.com/politics/update/0810/TKY201108100599.html

 民主党の小沢一郎元代表は10日、国会内で開かれた同党の当選1回参院議員主催の勉強会で講演し、2009年衆院選マニフェスト(政権公約)について「示された個別の政策は大事だが、国民が本当に期待した原点は何なのか。自分たちに問いかけないといけない」と、見直しを容認する考えを示唆した。

 小沢氏はこの日もマニフェスト重視の姿勢を示したが、「ねじれ国会」を乗り切るには野党の協力が必要との考えから、マニフェストにこだわらない姿勢もにじませたものとみられる。

 小沢氏は約120人の党内最大グループを率いる。講演には「脱小沢」の代表格の仙谷由人官房副長官に近い議員や党内中間派の議員ら衆参約150人が参加した。



更にはこの勉強会に当初より関わっていた有田芳生議員の『酔醒漫録』8.10のブログより「なぜ小沢一郎さんを招いての勉強会かーー「政局部」報道の歪曲について」を読んで頂きたい。
http://saeaki.blog.ocn.ne.jp/arita/2011/08/post_2229.html

 8月8日(月)読売日経が書いたが、私たち参議院選挙10年当選組有志(13人のうち10人)は10日に小沢一郎元代表を招いて参議院議員会館で勉強会を行う。案内は5日に全民主党議員に配布した。

報道が「菅首相退陣後の党代表選をにらみ、中間派議員との連携を強める狙いがあるとみられている」(読売)、
「菅直人首相(党代表)の後継を決める代表選を見据え、党内基盤を固める狙いがある」(日経)
と論評するが、大筋で間違い。主催者にそんな意図などないだけでなく、立場にもない。
ましてや「小沢系」と書くのは、意図的というよりもステレオタイプ(行動や考え方が、固定的・画一的であり、新鮮味のないこと。紋切り型)のレッテル貼りである。
私が1年ほどの国会生活で確信したのは「小沢グループ」に属している議員でも、あるいは「菅グループ」などに属している議員でも、小沢一郎という政治家からまとまった考えを聞いている者は少ないことだ。
私たちも同じである。あれこれ言われる小沢一郎元代表だが、日本について何を考えているかを聞こうじゃないか。そういう趣旨で2か月ほど前から構想したのが今回の勉強会だ。
提案者は安井美紗子さん(愛知選出)。実務は小見山幸治さん(岐阜選出)。原発やTPPなど個別政策テーマや「政治部」ならぬ「政局部」(丸山眞男)が報じる狭い永田町話ではなく、日本にとってあるいは政治家にとって必要な大きな政治哲学を小沢さんから聞く。
少なくとも私が賛同した理由はそこにある。13人すべてに声をかけた。
支援組合との関係から呼びかけ人に名前を出すことを断った議員もいる。「しがらみ」である。
呼びかけ人には昨年の代表選で小沢さんに投票した者も、菅さんに投票したものもいる。
そもそもの趣旨からいって当然のことだ。
「小沢グループ」が小沢一郎さんを招いて勉強会を開くならば、こうした方法は取らないだろう。
「グループ」外に開かれているとは思えないからだ。「グループ」の「グループ」たる所以である。
これは「菅グループ」や前原誠司さんを推す「凌雲会」でも同じこと。
もちろん政治の世界ゆえに政局とのからみであれこれ論評されることは仕方がない。
ただ、最初の構想時から関わっているものとして、あくまでも「大局観」を聞く会であることだけは強調しておく。

仕方ないのかどうか。そうは思わない。事実を事実として伝えず歪曲、曲解し偏向し報道する事が報道とは到底思えない。記者クラブメディア組織の背景にあるものを十分に浮き彫りにすべき彼ら自身もその対象者になるべき。
そして更には、その晩の報道ステーションで古館が「派閥の力学を働かせるようなことであるなら」などと逃げの常套句「とするならば」を用いて自らの発言には責任回避&保身しながら、この勉強会を「派閥の論理」で吐き捨てた。朝日新聞の論説員も古館もまっっっっっったく中身のない解説を加え、何かあたかも含蓄のある発言あるいはジャーナリズムに根付いた鋭い視座から社会に切り込んでいるかのように見せるために偽装する神妙な面持ちを時折見せ、下らぬ演出をする。
その中身をよく見てみると、震災後に反省し変節したかの古館は実際は視聴率とにらめっこしながら「我々報道する側もこの震災を機に考え直さなければ」とか「これまでの報道がどうだったか振り返りながら反省」だとか旧態依然とした旧来型のシステムに乗っかった報道姿勢を省みるようなことを言いながら、結局、実のところ、小沢一郎=「派閥の力学」という思考回路、思考停止から古館自身が抜け切れていない、もしくは確信犯的に偽装していたわけだ。
つまり口先手先だけの【反省】を情緒的にパフォーマンスして見せ、視聴者を軽視し欺いた詐欺師まがいのお調子者だということ。今に知れたことではないけれど、これに代表されるように、記者クラブメディア全体がまさしくこのようなエセ報道の母体といえる。

では、8/10に行われた第一回勉強会の全文文字起こし《前半》《後半》を読んで頂き、記者クラブ大手新聞マスメディアが報じた“事実”と実態がどう違うか、完全に浮き彫りに出来ればと思いましたのでどうぞ。




《前半》2011/08/10(水)参議院2010年初当選組有志一同が主催する『小沢一郎勉強会「政権交代で目指したことは何だったのか」』*文字起こし全文《前半》

 

講師:小沢一郎 衆議院議員

 

呼びかけ人:参議院2010年初当選組有志一同

有田芳生・江崎孝・大野元裕・小見山幸治・斎藤嘉隆・田城 郁・谷 亮子・徳永エリ・西村まさみ・安井美沙子

 

 

小沢一郎「連日の暑さの中、国会活動あるいは地元の活動、皆さんには大変ご苦労さんでございます。いま、呼びかけ人の代表有田参議院議員からお話がありましたが、先日、呼びかけ人を代表してという事で小見山議員と安井議員と二人で見えられまして、政権交代で目指したのは何だったのか、という演題でお前の考え方を話してみろという事でございましたので(笑)


私は学生のように書生論議は大変好きなものでございまして、その意味では結構なんですけど、ただ皆さんのほうが片っ苦しいあまり面白くもない話聞いてると居眠りする時間のほうが多いんじゃないかなと思って、心配して申し上げましたら『いや居眠りはしませんからよろしく』ということでしたので、少なくとも安井さんと小宮山さんだけは眠らずにいておいて、あとの方は暑いですから適当に眠い時は眠ってください。

 ①20110813151234

そこで、政権交代で目指したことは何だったのかという、呼びかけ人の皆さんのテーマでございます。これに関連しながら私の考え方を申し上げるという事でありますので、しかもずっと継続して5,6回に分けて当面考えているということでしたので、今日は、目指したもの、そしてその本質について、皆さんもそんなことは分かっているというふうにお考えの方も多いかもしれませんけども、もっとも基礎的な最も本質的なものについて、おさらいがてら申し上げたいと思っております。


それから次にはやはり日本国の基本のルールは憲法でありますので、憲法の基本理念、そしてそれに関連しながら9条、安全保障の問題、あるいはそれに関連する外交問題とかいうことについて話してみたいと。


それから3番目には立法府、国会のあり方について。三権分立と議院内閣制という事になりますけども、そんなことについて、政府提案の法律ばかりで議員立法はどうなっているのかとか、国会の機能がこれでいいのかとかいうところの話を申し上げてみたいと思っています。


それから、立法がきますので、次は行政。中央と地方の役割分担の問題。統治の機構からいえば、中央集権から地方分権へと。我々は地域主権というシャレた言葉を使いましたけれども、問われていたのは地方分権ということでありますが、それについて私どもがマニフェストで申し上げておった事、その根幹の考え方を申し上げながら、過疎や過密の問題、あるいは格差の問題等々について申し上げたいと思っております。


それから次にはこれまた色々論議になっておりますが、税と社会保障ということ。特に我々は年金の抜本的改革を唱えて国民に訴えてきましたし、それから医療。医療と言っても老人医療。段々私もその域に近づいてきましたけども、医療の問題等々の社会保障、その他の問題でのセーフティネットの問題、そしてそれに関連して財源の話も併せて出来たらな、と思っております。


そういう基本の事をよく理解したうえでないと個別政策論というのにはなっていかないと私は考えております。従いまして、基本の事をお互いにもう一度しっかりと叩きこんだうえで、最終的に個別の政策についても申し上げてみたいと、そのように思っております。

 

それで今日は、政権交代で目指したものは何なのか、ということについて申し上げたいと思います。私も暫くこういう形の勉強会で話をするというのは本当にここ2年くらい。大学での講座もなんだかんだあったもんですから、休んでたのでしばらくぶりなんですが、一応メモを作ってきましたので、それに従いながらあっち行ったりこっち行ったりしないようにして申し上げたいと思います。

 

それで、政権交代で目指したもの、なんですけども、これは私から言わせると旧来の官僚主導の政治から、政治主導、国民主導、あるいは政治家主導といっても言葉づかいは何でもいいですけども、いわゆる国民、そして国民の代表である政治家主導の政治の確立ということが私は我々が目指した根本の考え方、理念だったと思います。

 ②20110813151414

これが何となく分かっているようで分かっていない。また、分かったつもりでいてもなかなか政治家がきちんと見識と責任を持ってその理念に従った政策決定や行動が結果として難しいというあいまいな状況の中でいるということが、いま民主党が非常に厳しい視線を受けている、指摘されている最大の根本的な問題だと私は思っております。


そこで、おさらいなんですけど、改めてお互いにこの点を。じゃあ、国民主導、政治主導というのは何なのか、という事をこの原点から考えて行かなくちゃいけないんじゃないかとそう思っております。

 

まず最初に、民主主義、議会制民主主義の本質は何かということであります。民主主義というのは国民主権、国民がいわゆる決定権を持っているというのが民主主義社会であります。ですから、民主政治、国民主導の政治、政治主導というのは民主主義社会を標榜するのであれば当たり前のことであるし、これが実行されていないとすれば、それは真の民主主義社会とは言えないという事だろうと思います。


国民の投票によって選ばれていないいわゆる官僚主導の政治が横行しているとすれば、それはまさに民主主義とはまだ言えない社会であると考えなくてはいけないと思います。

 

そうすると、いま国民主権という言葉を申し上げましたが、じゃあ主権とは何か、ということであります。主権とは例えば、主権国家といわれますように国家間のなかでの独立した国家という意味で使われる事がありますが、私どもが学生の頃、主権とは何ぞや、ということで憲法の先生に聞いたことがありますが、“主権とは最高にして独立、そして最終の権力ということだ”というふうに講義を聞いた覚えがありますし、まさにその通りだと思います。そしてその権力権限が国民にある、それが国民主権の基本である、形であるというふうに言えると思います。


国民主権というのはじつは新しい言葉なんです。これを古い言葉で言いますと昔は“主権在民”“主権在君”という言葉遣いをいたしました。その主権を誰が持っているか。国民が持っているか、あるいは君主が持っているかという君主制と民主制という形の中で呼ばれたことがあります。


今は国民主権ということでありまして、ですから国民はこの主権を持っている国民自身が選挙、あるいはその他の仲介等でその権力を行使するというのがいわゆる国民主権の形でありまして、だから私は選挙というものが民主主義にとっては本当に大事な根本的なものであると常に言っているのはここにあるんです。主権者たる国民がその主権を行使する機会というのは選挙だと。それで我々が皆さんが国会議員だと。政治に携わっていられるのも主権者によって選ばれているからであります。そういう意味においてこの事も十分我々の立場も自覚しなければならないと思っております。

 

これを民主主義というわけでありますが、次には議会制民主主義というのはそのような国民が主体的に与えられている主権を権限を権力を行使するというところにまた民主主義国家と民主主義国家の国民の権利と義務があるということであります。

 

私はいつもあちこち行きますと、政治家がだらしないとか政治がどうだこうだという意見がいっぱい出るわけでありますけれども、それはその通りだけれども、そのだらしないという批判は甘んじて受けるけれども、それを選んでいる諸君が一番いけないんだと。


俗に言われているように民主主義社会では国民より上の代表というのは生まれない。国民のレベルと同じだからこそ代表だと。代表と象徴はどう違うのかという言葉もまたこういう意味で使われるんですけども、ちょっと言いますと、象徴というのは異質の関係について使われる言葉だと。だから天皇陛下は日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴と。これが僕や君らが日本国の象徴だって言ったって、あれは頭おかしいんじゃないかという話になるだけでございまして、象徴というのは異質の関係と。ハトは平和の象徴とか。代表というのは同質者間で成り立つ言葉でありますからそこに国民の選ぶ国民のレベル以上の代表は出ないというのはそこに所以があるわけでありますけれども、いずれにしても国民自身が選ぶという意識を持たなければならない。

③20110813151559 

これは今日の場の話ではないんですが、日本におきましてはまだまだ国会議員含めてお上の意識が抜けきっていない。お上と言う時は何だろうと。それは官僚と官僚機構であります。


これが実質的に政治行政を担っているという意識の中でお上の考え方が日本にはまだまだ根強く残っている。だから結局、総理が誰になろうが国会議員がどうなろうがどこの党の政府だろうが関係ない、という考え方が国民の間に根強くあるのはこういう意識のせいですね。どうせ変わったってなんもお上のやることは変わらないと。役人がやってんだということでありまして、これは非常に民主主義社会にとって危険な考え方でありますけれども、日本国の現状を突いていることでもあります。


私どもはそういう意味で一般国民はもちろんですが、我々国会議員は肝に銘じて自らの見識を高める事に努めなくてはいけないと、そういうふうに思います。

 




《後半へ続く》http://threechords.blog134.fc2.com/blog-entry-987.html

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